日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

感想を考える

感想を言うことができません。唐突ですが。

例えば、今、CDプレーヤーにキース・ジャレットの名盤「ソロ・コンサート」がかかっていますが、誰かにその感想を聞かれても答えることができないと思います。何故か。「ソロ・コンサート」が評価に値しない駄作だと言うのではありません。純粋に、自分の身の処し方を考えると即座に答えが出せないのです。身の処し方と言うのは少しオーバーな言い方かもしれませんが、つまり、立場を考えてその場で求められていると思われる感想を勘ぐってしまうのです。僕は音楽の評論家ではなく市井の愛好家なだけです。自由な感想を持つことを許されているのです。しかし、幼少時からの習慣なのでしょうか、これを言ったらまずいとか、こう言えば好感を持たれるだろうかと考えてしまうのです。

音楽に限らず、あらゆることにそういった邪推をしてしまい、本当に自分を守ることばかり考えているのだなと自分でも思います。よく、こういう空気を読んだ"感想"を考える原因は学校教育にあるのだと言う人がいますが、どうなのでしょう。

といいつつも、単純にボキャブラリーの不足が原因かもしれないですし、音楽に関してはちゃんと聴いていない場合もあります。一般に評価の高い作品であっても、自分の胸に響かないものもあります。一方で、響かないものに無難は感想を言うのも、処世術として必要でしょう。また、インターネットのように多くの人の目に触れる場所で感想を述べることはリスクを伴います。ポジティブな感想ならともかく、ネガティブな感想を持ったとしてもそれをインターネットで述べるのは、不要な中傷を受ける可能性があるので避けたほうが無難でしょう。けれども、ポジティブな感想、無難な感想ばかりの世界は不健全で気持ちが悪い世界です。政治的な駆け引きなしに自由に感想が言い合える、気心が知れた仲間がいる人・場がある人は幸せでしょう。