日常の雑感

見なれた日常にある"何か"を見つけて記録していきます

まったく眠れなかった

昨日の夜はまったく眠れなかった。ここのところで一番眠れない日だった。うとうとする頃には外が明るくなりはじめていた。そして今日の昼間。今日は出勤日。車に乗って職場に行かなくてはならない。仕事もこなさなくては。睡眠不足があるとよくない。持病の発作が起きるかもしれないと少し不安に一日を過ごすことになる。もう長いこと発作は起きていないのだが、心配にはなる。結局、今日は一日、平穏に終えることができた。発作もなかった。疲れたのでもう寝ることにする。

聴きどころとは

昔からどのジャンルにしろ音楽の聴きどころは自分で見つけるものだと思っていた。アルバムはタイトルの響きかジャケットで選んで買うもの。そこから先は繰り返し聴いて聴きどころを見つける段。聴きどころを見つけることが音楽を楽しむことだと考えていた。

しかし、それは大変に長く苦しい道になってきた。若い20代の頃は、まだまだだな、もう少し聴かないとわからないなくらいに楽に構えられた。そこから10年経っても、なかなか聴きどころが見つからないアルバムが多かった。twitterなどにはいとも簡単に理解しているような人がたくさんいるのに。

最近、シフとヴェーグのモーツァルト・ピアノ協奏曲集をレビューを見た。以前はレビューなど読まず、理解できない自分に焦るので、twitterに上げられる感想すらまともに見なかったのだが、何の風の吹きまわしか読んでみた。

シフとヴェーグのものは、ピアノもさることながら、管弦楽木管が美しいというレビューがあった。そうなのかと、管弦楽に注意しながら聴いてみた。確かに美しい。そして聴きどころを提示されて聴くのはなんと楽なことか。情報をまったく入れない状態だったから、何回聴いても「へぇ、いい演奏だね」で終わってしまって具体的に何がいいのかわからなかった。

まったくの暗中模索状態だった時期。そこで何かを得られたのだろうか。ただの無駄な時間だったのだろうか。何かしら得られたものがあったと考えなければやっていられない。

9月25日の雑感

どうしてもよくわからない。音楽を聴きはじめて20余年、未だに感想が言えない。驚きだ。何らかの感想を持たないものなのか。これに焦って感想っぽいものもブログなどに書いたこともある。しかし、それはどこかで聞いたことのある誰かのものの焼き直しだった疑いが強い。20代の頃は、ある種の開き直りがあって、感想云々はあまり気にしなかった。気にしだしたのはここ数年で、twitterを使うようになり、あの短い文字数のなかにも的確と思われる感想が述べられているのを見たからだ。

この20年で自分が築いてきた音楽やその他の世界観は、とても脆いものであった。ネットの顔も見えない人々の言葉を聞いただけで、崩れつつある。これから道はふたつだ。ひとつは世界観を強固なものにするために、かつての方法を頑にも続けること。圧倒的な蓄積は人の追随を許さないと信じて、ひたすら音楽を聴き続けること。もうひとつは、もう音楽を聴くのは止めにして、ほかの新しい楽しみを見つけること。新しい選択肢はいくつか用意してあるので、まったくの真っ新な状態ではない。

しかしながら、どちらも愚かな道だ。ひとつ目の蓄積することが人の追随を許さないというのは、結局のところ、他人に依存していて、"自分"というものが抜け落ちている。追随を許さないなど、下らない。どうでもいい。ふたつ目の止めてしまうにしろ、ほかの楽しいことに移行したところで、またtwitterで先行する人の話を聞いて意気消沈して、またほかのことへ移ることになるだろう。

結論。即座にtwitterやネットから離れて現状維持。音楽を聴け。

ファームウェアの更新

無線LAN中継器の調子がよくない。導入してから何年だっけ?もうダメかな、買い替えかなと思ったけど、一度もファームウェアのアップデートをしていないことに気づいた。中継器のメーカーサイトを見てみると、案の定、新しいバージョンのファームウェアが公開されていた。早速アップデートをかける。これで様子を見て調子が戻らなかったら買い替えよう。

音楽系雑記 9月19日

音楽話。好きなアルバムを挙げろと言われても難しい。あれもいいし、これも聴きどころがある。気分によっても聴きたくなったりする。埒があかないので、逆から考えてみると、嫌いなアルバムを持っていないのだ。どれも嫌いじゃないから、どれを聴いてもいい。基準がないから選べないこともある。何でもいいとは逆に難しい。気分で決めてもいいし、実際に決めることもあるけど、CDをかけてしまえばそのアルバムの気分に染められてしまうので、聴く前の気分はあまり重視しない。CD棚の上から何番目の列を右から順に聴くでもいい。

他人から見てカッコいいと思われるように音楽を聴いていた時期があった。その時期は、このアルバムが好きだと他人に言ったこともあった。それは自分を苦しめることになった。他人目線で選んでいたので、自分を蔑ろにしていた。その結果、音楽が全然面白くなくなってしまい、体調も崩れた。これは逆に見ると、自分の中に言葉では認識していないけれど、明確な価値観があったことを教えてくれた。価値観の集合が今のCD棚である。これはこれでいい経験であった。

緊張感のある音楽

CD棚を眺めて目についたフランク・ザッパの『Philly '76』を聴いてみる。この次に『Zappa in N.Y』も聴きたい。

いくつもアルバムを持っている割に、ザッパの詳しいことは知らない。ネットをちょっと開くと、熱心なザッパファンのページがいくつも出てくるので、あとで勉強してみるか。

しかし、このようなザッパのライブ盤を聴いて感じるのは、緊張感である。集中を要する音楽だと思う。頑張って聴くわけではないが、聴いていると疲労を感じるほどである。圧が強いというか。厳しいというか。

こういうのを聴くと、音楽に疲労回復や癒しだけを求めるのは間違いだと気づく。疲れるほどに骨太な演奏を味わうのも一興だ。

スタンダード

グレイトフル・デッドの『フィルモア・イースト2-11-69』を久しぶりに聴くことにする。1曲目に「good morning little school girl」という曲が入っていた。この曲、そういえば、この前聴いたテン・イヤーズ・アフターのライブ盤と、それと前後して聴いたジョニー・ウィンターのライブ盤でも見たタイトルだ。いったい何なんだ。

ググってみると、いろんなバンドやアーティストが演っている、ブルースのスタンダード曲のようだ。そうなればこのようにいくつものアルバムで見かけても不思議はないな。

ブルースやその後のロックにもジャズの「枯葉」とか「朝日のようにさわやかに」のようなスタンダードもあるのを初めて知った。もっとも、60年代とか70年代のバンドは、他のバンドのカバーも多くやっていたみたいで、たとえば、ローリングストーンズの「ホンキー・トンク・ウーマン」とかボブ・ディランの「風に吹かれて」なんかも他のバンドのライブ盤に入っているのを聴いたことがあった。