僕は自分の言葉を使えていない。自分の言葉とは何か。判明にはわからない。話をしたり、文章に書き出したりするのに、相手や読者に気を遣いすぎて自分の言葉を見失っている。
理由は明らかで、現在の所属コミュニティ、主なものは職場であるが、そこで使う言葉が難しいと指摘されたことを気にしてこうなっている。難しい言葉を使って人をばかにしているのか、とまでは言われないまでも、そう思われかねないと不安になったのを覚えている。それから使う言葉を考えて話すようになった。そうすると、相手の言葉に対する、こちらの反応はワンテンポどころか数テンポ遅れるようになるし、その反応も的外れだったり、意味を為さなかったりで、ふんだりけったりなのだ。だいたい自分の使い慣れた、違和感のない言葉を使えないことのストレスは大きくて、人と話をするもの億劫になるのは当然の帰結として、自分がコミュニケーションに難があると認識せざるを得なくなってくる。
このコミュニケーションの難は、自分から出たものではなく、周りの人が原因か、そうでなくても遠因にはなる種類のもので、自分を責める必要は微塵もないのは明らかだ。それなのに、日々の生活以外での余計ともいえる、この類のストレスをかけてこられるのは、悔しいとしか言いようがない。無駄である。
それではどうするのか。今、初めてこういう恨み節を書き出して気づいたことがある。現在の所属コミュニティを安易に抜けることは得策ではないと考える。年齢も年齢だし、収入源をみすみすなくすのもよくないから。では、何か。自分の言葉で話せる場を作ることだ。ネットでも、リアルの場でもいいから、自分の違和感のない言葉を使える場を作って、普段の制限された気遣いを強いられる言葉を使う現状とのバランスを取るのだ。そういうのに、この弱小ブログはもってこいだ。リアルでも何かあればいいのだが。