シューベルトの歌曲全集のCDボックスセットを聴きはじめた。
動機は極めて不純だ。聴く音楽を選ぶのが億劫になってきたので、聴くのに時間がかかる21枚組のこの長大なセットにした。
そういう動機なら、Spotifyなどに選ぶのを任せればいいのではないかという声が聞こえてくる。でも、なんか違うんだ。圧倒的な曲数の中から自分に合う曲を探してくれたり、その時間や気分に合わせた曲を見つけてくれるけど、違うんだ。
何が違うのか。やはり大きいのは所有している音源だということなんだろう。所有している音源と、未知の領域から流れてくる音楽とは、聴くときの取り組み方が異なるように思う。実際の感覚として。僕のSpotifyライフだと、流れてきた音楽を意識的にもう一度聴こうと思ったことはほとんどない。自分で検索して曲を再生したときは、何回も聴くことはあったのだが、それ以外の、おすすめされた曲などは一回ぽっきりだ。気持ちいい曲だなと思っても、それだけだ。完全に手軽に消費して終わりの形になっている。
自分のことを古典的なリスナーと呼ぶには歳が若いけども、90年代くらいから音楽を聴きはじめた旧世代のリスナーとしては、消費するだけの聴き方は肌に合わない。かと言って、能動的に音楽を選ぶのにも少し疲れている自分には、長大な全集ものの音楽が今の処方箋になった。