日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

暮らしのなかで大切なものとは。

暮らしのなかで、大切なものが何なのかわからない。ここでお金は大切な"もの"には入らないものとする。なぜなら、お金は"もの"を得るための交換手段であって、それだけでは意味を持たないからだ。あと、"もの"とは、物理的なものだけではなく、経験や人間関係、趣味の時間などの形のないものも含む。

大切なものとは、失って初めて気づくといわれることがある。たしかにそうだと思う。だから、日々の暮らしのなかで、特に何もしなくても普通に存在していて、いちいち「これは大切だ。なくなったら困る」とは意識しないもののはずだ。

逆に考えると、意識してしまうものは、世の中的に大切とされているものなのではないか。大切だとされているものだから、自分にとっては大切ではないかもしれない。"大切だとされているもの"と自分のなかの大切なものとの間にギャップがあると、苦しそうだ。

それを踏まえて、大切なものがわからないとはどういう状態なのか。たぶん、大切だとされるものがわかりすぎて、それに支配されている状態だと思う。たとえば、人からの信頼が大切だと言われると、信頼とはどう定義されるのか、どういう効果があるのかと言葉で考えてしまってわからなくなる。通常、信頼の大切さは経験からしみじみと思うことだ。人から言われてもわからないはずだ。でも、僕は、言葉が先に行ってしまって、その曖昧さに混乱する。自分がおかしいのではないかと思う。

大切なものはわからない。ただ、"大切だとされているもの"に踊らされないようにしよう。