僕の所有する音楽はどれも素敵なものばかりだ。それは本当に素晴しいことなのか。
よい音楽に出会うには、それよりはるかに多くのよくない音楽に触れる必要があるといわれる。よくない音楽をよくないと評価することによって自分の審美眼が磨かれ、好きなものの基準がはっきりするというのだ。これは映画や小説などにもいえることだ。
僕はよくない音楽にちゃんと触れてきたか。いつも自問している。所有している音楽がどれもよい音楽なのだ。ということは、売ったり処分したりして手許にないものがよくない音楽だったのだ。最近は処分することがなくなった。審美眼が磨かれて打率が上がったのか。
以前は「名盤」という言葉に弱く、すぐに飛び付いてしまう傾向があった。名盤という触れ込みを信じることで、よくないものを効率的に避けてはいなかったか。けれでも、昔の音楽で名盤とか何らかの名盤的なキャッチコピーが帯につかないものはあるだろうか。昔の音楽でも、現代に売ろうとしているものにはそれ相応の仕掛けがある。だから、どれでも差はないとも思う。
名盤の文句に誘われて手に入れた音楽でも、気に入らないで売ってしまったものもあるから、文句はきっかけに過ぎない。審美眼や、好きなものの基準を形作るのに効率的になったかは疑問だ。それなりによくない音楽にも触れていたのだろう。