日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

twitterを契機に

twitterは見ないほうがよかった。さきほど、今CDプレーヤーで再生しているアルバム、アニー・フィッシャーのモーツァルト、ピアノ協奏曲第24番についてtweet検索したのだ。そうすると、何年の誰と組んだ録音が素晴しいとか、LPで聴きますとか、自分の知らない世界の話が繰り広げられていた。僕はなんともいえない劣等感を感じた。

 

こういうことは今まで幾度もあって、いつも気分を損なっていた。では、何故、僕はtweet検索をしてしまうのか。おそらく、自分の聴いているアルバムについて、あれいいよね、とか、ただアルバムの名前が出るだけでも、俺、わかってるんじゃんと得意気になれるからだと思う。共感を得たいのか、浅はかなことだ。自分がいいと思ったら、その時点で紛れもなくいいアルバムなのである。他の人が同調しようがしまいが、答は決まっている。そこにまっすぐに進めないのは、音楽好きとして、自分がまだひよっこで自信が持てないのだ。だからネットの"上級者"の人の意見を真に受けてしまう。もしかすると、見えない"上級者"の人も誰か権威のある人の受け売りをしているに過ぎないかもしれないのに。

 

では、気分を損なうのは何故か。単に知らない話題が繰り広げられているからだ。いつもtwitterの意見は浅いとか、先ほども受け売りだとか思っているが、それさえも自分は知らないのである。僕はいつも話題の中心でいたいのか。知っている話題だけ見たいのか。それは子供の考えだ。知らないのであれば、調べたり勉強したりすればいいだけのことだ。

 

今回、アニー・フィッシャーを聴いた。他のピアニストの録音も聴いたことがある。モーツァルトの音楽を自分はどう聴くのか、モーツァルトとはどんな音楽なのか、朧げながら自分の中のモーツァルト像が徐々にできてきている。音楽教育を受けたわけではない僕でも。そこでアニー・フィッシャーはどう表現したのか、ハスキルどうか、シフはどこを重視するのか。そういったことを僕なりに見つけていければ、twitterで気分を損なったりすることは少なくなるのではないか。