日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

アヴリルの新譜を聴く

Avril Lavigne の新譜、LOVE SUX を聴く。

のっけから攻めに攻めて、止まることなく最後まで行く。僕はサブスク全盛の今日においてもCDで購入し、曲順に忠実に最初から聴いたのでそう感じたのだろう。昔では攻めまくる構成はあまりなかったように思う。途中で箸休め的でゆっくり目な、人によっては捨て曲と言われてしまうような曲があるのが通常だった。サブスクやスマホでのリスニングが主流の今日では、そういう箸休めは求められていなくて、どんどん飛ばされてしまうため、攻めた曲が続いても問題ないのだろう。そうなると最早アルバムというより、攻めた曲が集ったシングル集といった風情だ。

アルバムの情緒が失なわれると嘆く人もあるかもしれないけど、そういう時代なのかな。少しせかせかして、短期的に気持ちのいいものを求めるという。長く続くじわじわくるような味わいを楽しむには、余裕と能力が必要な時代になってきている。

今回、このアルバムを聴いて、冒頭に述べたような攻めまくる印象を持った。これはこれでコンセプトがはっきりしていて清々しい。僕も時代に対応していきたい。

 

Love Sux

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タイトル買い

300頁余りの文庫本が990円もするなんて!本も高くなったと云われるのを改めて実感するな。

その文庫本が届いて、早速読み始めると、990円出した甲斐があったなと思った。『怠惰の美徳』という昔のエッセイ集なのだが、タイトルを見て怠惰に生きることの素晴しさを書いているのかと思ったら、そうでもない。怠惰に生きている自分を肯定的に見るヒントを得ようと思ったのに、とんだ肩透かしをくらった。でも、ちがった方向に為になるようなことがあった。まだ途中なのだが、続きを読むのが楽しみ。

 

 

ソウルの革命を聴く

昨日の夜、今朝とジェームス・ブラウンの「ソウルの革命」を聴いていた。ファンクの古典的ライブ盤だ。こういう古典が好きなのだ。

ジェームス・ブラウンのライブ盤は、68年〜71年くらいに収録されたものが最高とものの本には書かれている。僕もそれに倣っていくつか集めてみた。「ソウルの革命」もその頃だ。書いてあるとおり最高だ。アガりますな。

こういう古典は、古典という言葉にイメージに似合わず、全然古さを感じさせない。今聴いても、熱く、心底盛り上がる。執拗なフレーズ(?)の反復がそうさせるのか。新し目の音楽はクールで知的な感じを受けることが多いが、真逆な熱さと野性的魅力を振りまく音楽だ。

 

ソウルの革命

ソウルの革命

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マイルスのプラグド・ニッケル

マイルスのプラグド・ニッケルのライブ盤。Disc2の楽しさがわかってきた。ゆっくり目の曲でも熱くなるところもあるのを見つけた。熱いのは好きだ。何でいままで気づかなかったのだろう。これで同じくゆっくり目の曲が収録されている、マイ・ファニー・ヴァレンタインも楽しめるようになるかな。

 

 

ジャズクラブとホール

マイルス・デイビスのプラグド・ニッケルのライブ盤を聴く。2枚組のやつ。

プラグド・ニッケルとはシカゴにあるジャズクラブだ。今日考えたのは、ジャズクラブのライブとホールのライブだと、ジャズクラブのほうが好みだなということだ。僕の好みなどどうでもいいことかもしれないが、両者に違いはあるのか。客の数とステージの距離以外の何かが。わからない。テーマとして挙げる意味があるのかどうかもわからない。でもいいんだよなあ。

プラグド・ニッケルのほかにも、ジャズ・メッセンジャーズのカフェ・ボヘミアのライブ盤やマイルスのブラック・ホークのライブ盤もいいよね。

ジャズ以外の音楽でも、ビターエンドで行われたダニー・ハサウェイのライブ盤やカーティス・メイフィールドのライブ盤も好きなんだよな。あそこも大人数が集る会場じゃないよね。

音楽つれづれ草

昨日、寝る前にコルトーショパンエチュードのアルバムをかけていた。もう10年ぶりくらいに聴いた。そんなに久しぶりにこのアルバムをかけたのは、その前に聴いていたフランソワ。フランソワが師事していたのがコルトーだとフランソワのアルバムのライナーに書いてあったからだ。

単にきっかけに過ぎないが、きっかけは重要だ。きっかけがないと未来永劫聴かないアルバムも出てくるだろう。買って、何回か新しく買ったというきっかけで聴くだろうけど、それも束の間。やがてCD棚の肥やしの候補になってしまう。理想としては、"肥やし"はなるべく少なく、多くのアルバムを日常に置いて現役としていければなと思う。

 

午後からはオフだ!

午前中に残っていた通院の用事の済ませて、午後はオフだ。

出かけるのもアレなので、日向のベッドに寝転んで音楽を聴く。70年代80年代からあるような、田舎の人の過ごし方だ。中学生くらいだとFMで、段々大人になるにつれて所有する音源が増えてきて、CDなりレコードなりになるのかな。例に漏れず僕もそういう階段を上がっている。独り身の音楽ライフは一生この型だろうな。

いい過ごし方だ。これが一番好きだな。音楽を聴いているんだか聴いていないんだかわからないけれど、生活や時間を楽しめている気分になる。かけているというほうが適切か。何か作業をしながらでもいいね。昔は切り絵をしながら聴いていたものだ。最近は目がきつくなって止めてしまったけど、あれもいい時間だった。今は特に何もすることなしに音楽に耳を傾けている。ボーっと聴くのはもったいないとも思うけれど、真面目に分析的に隅々まで聴くのも違う。音楽はそういう対象ではないんだ。生活や時間の彩りなんだ。肩肘張らずに聴きたい。なんなら流しているだけでもいい。