日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

音楽戯言

 朝、ラジオでクラシックの番組を聴いた。新鮮な音楽だ。音楽の世界に入り込んだ。いい気持ちがする瞬間だった。

 ラジオで聴く音楽と、CDで聴く音楽では受ける印象がちがう。たまにCDで持っている音源と同じものがラジオでかかるときがあるが、そういう場合でも印象がちがう。これは特に記しておきたい不思議な感覚だ。何故か考えてみる。ラジオでかかる音楽は、リスナーにとって偶然に聴くことになる音楽だ。一方でCDの音楽は、自分で選んでいるから、あらかじめ予定されている。自分の好みや積極的に聴いてみたい音楽を選ぶのだから、聴いた感じはわかっている。否、わかっているというか、聴いたときの心の動きは予定されている。聴き込んだ音楽ならば尚更だ。

 さらに不思議なことがある。たとえば、ラジオで聴く音楽でも、かかるものがあらかじめわかっている場合である。NHKのクラシックの番組では、インターネットの番組サイトを見ればどの曲がかかるか知ることがでる。この場合では、かかる曲がわかっているという点でCDと条件が同じになる。それでも、ちがう印象を受けることになるのである。偶然だけがラジオの特別な感じの源泉ではないのか。何なのか。

  何か、CDの音源というのは、雑に扱いがちになってしまう。物理的なCDの扱いではなく、音源を聴くときの姿勢というか。ちなみに、サブスクの音楽はさらに雑になる。ラジオは真剣だ。耳を傾けている。もう数多くのCDを集めて、好きな音楽を身近に置いている生活が、本当に望んだものなのか怪しくなる。いっそ、CDを全部処分してしまったほうが、音楽を楽しめる環境になるのではないかとさえ思う。趣味における悩みだ。