日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

軸が他人にあると

以前、周りの人の目を意識して音楽を聴いていた時期があった。「俺はこんなにスゴいのを聴いてるんだぜ、みんなにはわからないだろうな」というような優越感を持ちながら、CDを選んで聴く日々だった。

やがて、CDを選べなくなってきた。選ぶ軸が周りの人の目だからだ。彼らの反応を見ないと、何を聴いたら優越感に浸れるかわからなくなってしまう。周りの人とは進んで音楽の話をしようとは思わなかったから、反応を見られずに、優越感は頓挫してしまったのだ。

そういう状態は健康にもよくなかった。優越感云々じゃなくて、結果として音楽を聴けなくなったのが悪かった。そうなって、僕は音楽が好きでより所にしていたんだなと思う。CDを選ぶ軸を自分主体に戻していく必要がある。

一度ブレてしまった軸を元に戻すのは予想以上に難しかった。本当に何を聴けばいいのかわからないのだ。もう音楽を聴くのを辞めてしまって、ほかの趣味や楽しみを見つけたほうが早いような気さえした。

しかし、今、音楽を聴いている。自分の軸を取り戻したのだ。軸は非言語的な感覚だ。表現するのは難しく、もしかすると完全に取り戻せていないかもしれないが、心身の状態はよくなってきている。気分よく生活できるのが何よりだ。割と長い道のりだった。