日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

気分は落ち着いている

  気分は落ち着いている。落ち着いた気分のなんと快いことか。こういう気分を味わうのはいつぶりだろう。荒れ狂う嵐のような日々が続いて心は疲弊しきっていたからな。

  急にひとりであることを意識しだして、心は落ち着きを取り戻した。たぶん、いつもこんな気分でいられるわけではないと思うから、一日のうち、あるいは一週間のうちにいくらか穏やかな心持ちでいられる時間を持てればいいと思う。その穏やかな時間で休息して、また避けたいけれど避けられない荒波の世界へ飛び込んでいく。その繰り返しなのだ。

いい季節に向けて準備したのに…

  書店にて先日発売になった地図、『ツーリングマップル2024年版』を購入。いままで使っていたツーリングマップルは、驚くべきことに8年前の2016年版だった。少々の不便を感じながらドライブに使っていたのだが、何故か今日まで買い替えるという発想に至らなかった。不便がほんとうに少しで、あまり影響を感じられなかったためだ。しかし、さすがに8年だし、もういい加減買い替えないとと書店へ行ったのだ。

  しばらく前に、家でドライブの計画を練ったり復習したりする用の地図も新しくしたので、これで晴れて持ち運び用も最新版となり、春からの行楽シーズンの準備が整った。ええ、整ったのだが、外に出る気持ちが段々薄れてきた今日のこの頃なのだ。車はバッテリーも交換して快適になったし、季節もよくなってきたのに、何故今気持ちがノらなくなるのか。この前は週に2回も給油するほど出かけていたというのに。そう、そういう極端な距離を走った反動なのかもしれない。あまりいい季節じゃなかったのに、何故そんなに走ったのか。振り返ってみれば何故何故ばかりで自分の行動が理解できない。残念だ。

  とは言うものの、家での遊びの環境もよくなってきている。オーディオは調子よく音楽を奏でるし、プロジェクターでの映画も快適。ラジオを聴いたり、日経新聞を読むのも面白い。積読も多く、読む本には困らない。インドアな時期に入ったのかもしれない。それはそれでいいではないか。タイミングはよくないけれど、仕方がない。もっとコントロールできればいいのだが、まあいい。いい季節は人も多かったりするから、これでよかったと思えばいい。

 

横になりたいけど、お風呂が。

  何もしていないのに疲れている。早く横になりたい。でも、横になってしまうとお風呂に入るのがキツくなる。あるいは、寝落ちして2時3時にやっと起き出してお風呂ということになってしまう。それはよくない。変な時間に寝たりすると、やっと整ってきた生活のリズムが崩れる。また整うまでに時間をかけなくてはならなくなるのは嫌だ。

  生活のリズムが整うことの快適さを、ひしひしと感じている今日この頃だ。今日は訳のわからない疲れがあるが、ここしばらくは快適であった。少々の疲れがもとで堕落とは言わないまでも、いい加減な生活態度に戻ってしまうのは避けたい。ここが頑張りどころだ。何を頑張るのかはわからないが、とりあえず、ルーティン通りに過ごすことだ。

  とういうか、生活のリズムとかルーティンとか言うまえに、とっととお風呂に入ってその後で好きなだけ横になればいいだけの話なんだけど。

休みだ、出かけないのでブログ更新する

  今日は休みだ。休みの日に更新することが多いこのブログは、この出だしになることも多くなる。

  今日は疲れている。午前中、車にガソリンを入れに行っただけで頭が痛くなった。気分がノったらそのままドライブでもいいかななんて思っていたけど、とんでもない。すぐに帰ってきた。

  なんなんだ。折角の休みが。まあいい。家で過ごすことにする。音楽をかけてじっとしている。晴れているから、窓を開けて新しい空気を入れつつ。いまのところ、風は穏やかだから窓を開けていても大丈夫だ。昨日だか一昨日は風が強くて、車の運転にも気を遣った。

  音楽は何を聴こうか迷うことはなくなってきた。以前は、聴きたい音楽がわからないのに悩んだが、そういう時期は脱したようだ。今回は何を聴いているのかを紹介することはしない。紹介すると自分の世界が少々崩れるような気がするからだ。僕は、ブログをメインに生活しているわけではないので、自分の世界が最優先なのだ。そして世界は誰かが入ってきたり、目に触れて何かを言われ得る状態になると、たちまち不安定になり崩れはじめるような脆いものなのだ。

  では、何かを書いてネットに発表するのは止したようがいいと思われるかもしれない。しかし、それはまた違う理由によって否定される。いわばネットとかブログは、余興のようなもので、戯れになにか書いておくだけの環境なのだ。気紛れに戯言を書く処はあってもいいと思う。自分の世界が崩れない程度に。

ルーティンと気分の安定

  もともと気分の浮き沈みが大きい身上。落ち着いて生活する方法を日々探している。去年くらいから続けているのは、朝、出かけるまでのルーティン化。特に朝起きてから出かけるまでは、時計を見ながら、お昼のお弁当を作り、ご飯を食べ、コーヒーを飲む、これらを時間通りにこなしていく。特に意味はないように見えるのだが、続けていると、気分が楽になってきたように思う。朝に限っては、浮き沈みも少なくなってきた。

  ルーティンにすることの何がいいのかというと、余計なことを考えないこと、それどころか、次に何をするのかすら考えなくて済むので、頭が楽になる。たまにイレギュラーなことが起きることもあるけれど、そういう時は、そのイレギュラーなことだけを考えればいいから、やはり楽。

結局Linuxを入れることになる

  Linux Mintがメインマシンの僕。以前、もしもの時のためにWindows環境も必要だよなあと思って購入したミニPCがある。衝動買いに近い感じで買ってしまったために、CPUがceleron J4125という少し弱めのものを選んでしまった。もう少し考えて調べればN100という選択肢を当然採ったと思う。買って、はじめのうちは問題なく動いていたけれど、Windowsの更新が何回かあってから動きが怪しくなってきた。もっさりである。そしていつまでも終わらない更新。更新しても動きはよくならない。見切りをつけてしばらく放置したあと、結局、このミニPCにもLinuxを入れることにした。

  LinuxPCの二台体制をどう運用していくのか。二台にしようと思っていたわけではなく、結果的に二台になってしまったのだから、運用方針で困ってしまう。体感的なスペックもそこまで違うわけではないから、尚更困ってしまう。両者の違いは、デスクトップたるミニPCとモバイルでもいけるノートPCというところ。外でPCは使わないからこの違いは意味がない。家の中のいろいろなところで使えるのはあるが。あとは精々広い画面で使えるか否かという。

  当面は気分で使いわけることになるだろうと思う。ネットを見る以外にすることがないし、そのネットでさえも見る頻度が減ってきているというのに。少ない牌を奪いあうことになる二台のPC。

本の中身が這入ってこない

帰ってきて、夜の自由時間だ。本を読もう。でも、ページを捲ってみても文章が全然入ってこない。気分が乗らない。今日はやめておくか。

ふと考えてみると、毎日のように本を読んで勉強することが本分の学生時代は、本を開いても文章が入ってこないとなると辛い状況なんだろうな。そんな経験はあまりないけれど。もし、試験前にこうなったらかなり切迫してくる。たぶん、無闇に勉強するのはやめて、気分転換をしたほうが近道だろう。大人になった今は、気分が乗らなければ読まないだけだけど。

でも、本に気を集中させておかないと、余計なことを考えそうで怖いんだよな。何か逃避の手段があるといいのだが。いつも聴いている音楽は没入感がいまひとつなんだよな。本のほうが効果が大きい気がして、つい頼ってしまう。