日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

世の中のことに興味が薄い

 こんにちは。

 世の中のほとんどのことに興味が持てない、考えられない僕です。ラジオでニュースを聞いても、みんな他人事です。一方で、「全て」のニュースについて自分との関係性を見つけて、深く考えていては、とても疲れるし、時間もないとも思うのです。世間の人々は案外ドライなのかもしれません。

 

 インターネットを見ると、世の中のできごとについて、いろいろな考察を見つけることができます。それを見ていると、自分がいかに浅く、世の中について関心が低いかのように見えてしまいます。しかし、冷静に考えてみると、ニュースで報じられる「全て」のことについて言及しているブログやサイトはありません。多くの考察を載せているサイトでも、ひとつひとつの記事の著者が違っていたりします。

 それぞれの分野には上には上がいて、一般人の人々には到底太刀打ちできない知見を持ってます。僕も一般人です。万能ではありません。知らないことはたくさんあります。彼等の深い考察に面喰ってしまうことも多いです。でも、大切だと思うのは、表に出てきている表現よりも、前提になっている基本的な考え方なのです。いろんな分野のいろんな基本的な考え方は多く知っていればいるほど、自分は浅くて考えられない人間なんだと悲観する場面が減るはずです。

休みだ!

こんにちは。

今日は休みです。
休みの日は、どこかへ行ったり、有意義なことをしてリフレッシュしようというキャンペーンがあります。僕は、それに反対します。休みの日は、用事やしなければならないことを処理して、その後はダラダラ過ごすに限ります。たまにどこかへ行くこともありますが、それは気分次第です。次の仕事の日に影響がないくらいに好きに過ごします。

暑い日にはセミの鳴き声

こんにちは。

暑い日が続いています。今年は、梅雨明けが早くて、6月中には梅雨が終わってしまいました。それから7月序盤は西日本で豪雨あって雨が降ることもありましたが、それ以降は酷暑ともいえる日々が続いています。

酷暑とも言える日々が始まってから、暑いのにセミの鳴き声がしていないことに気づきました。夏の暑い日にはセミの鳴き声がないとはじまりません。とうとう異常気象でセミもおかしくなってしまたのか、世界も終わりが近いのかな、なんと思っていました。

そんなことを思っていると、今週になってセミの鳴き声が聞かれるようになってきました。安堵しました。
暑くなったからすぐ鳴きはじめるわけではないのかな。鳴き始める時期があるのかな。

好きなものがある自分が好きなんじゃないか

こんにちは。

今日の問題は、本当は音楽が好きなんじゃなくて、音楽が好きな自分が好きなんじゃないかです。

問題にしたきっかけは、僕の持っているアルバムのジャンルが多岐にわたっていること、世間の評価を得た名盤ばかりであること、そして最大のきっかけは、音楽の話題を書いているブログの内容がまったく理解できないことです。

まず、ジャンルが多岐にわたるということは、一貫性がない、たくさん聴いてる自分が好き。
名盤ばかりであるということは、音楽に詳しい自分が好き。
そして、音楽ブログの内容が理解できないのは、音楽をちゃんと聴いてないからわからない。音楽を好きな自分が好き。

ちょっと理由を検証してみましたが、少し無理がありますな。一貫性がないのは好奇心が旺盛であるから。名盤ばかりなのは、歴史をしっかり知ることに重きを置いているから。音楽ブログの内容が理解できないのは、音楽を言葉に還元するのが難しいことを知っているから。そのブログの記事の表現から伝わる熱量が少ないから。

結論として、乱聴で歴史家で言葉で表現するのに否定的であると。上の理由からだと問題の答えは出ない。音楽を好きかもしれないし、音楽好きな自分が好きなだけかもしれない。

暑いな、外に出る気が起こらない

こんばんは。

毎日暑いですね。今日は仕事が休みだったのですが、こう暑くては出かける気にもなりませんね。

もし、出かけるとなると、車に乗ることになりますが、車でも暑い。でも、ガソリン価格高止まり状態です。この前は、窓を全開にして颯爽と走れば、と、エアコンなしでしばらく走っていました。でも、やっぱり無理でした。それに、窓を開けておくと、陽の光が強くて、紫外線にやられてしまいます。運転焼け?とでも言うのかな、右手だけ焼けてしまいました。

結局エアコンに頼ることになりました。そうするとガソリン消費量が…まあ、結局、自分の中で出かけるのがブームじゃないだけなのですけど。よく出かけていた時期は、暑さなどもろともせずにエアコンつけてガソリン代も払っていましたから。

その時その時のトレンドに合致

こんにちは。

僕の人生は、その時代その時代のトレンドともいえる社会問題に、ことごとく当てはまって経過しています。

まず、中学時代、不登校・引きこもりになったら、社会問題化。大学で安定を求めて難関資格に挑戦しようと思ったら、安定志向の資格取得が流行、結果、資格を持っていても就職難問題。資格に失敗して、就職も難しくなってきたら、高学歴フリーター問題。最近は、高齢フリーター、中高年非正規雇用の問題。

自分は我が道を行くタイプだと思って生きてきましたが、完全にトレンドに乗ってしまっていました。社会への見方が自分との関連で見るために、トレンドと関係しているように見えるだけかもしれませんが。

自分がこれからどうしていこうかと考えても、やっぱりトレンドに乗ってしまうことになるのでしょうね。自分で考えた行動でも、他の誰かも同じことを考えているのです。でも、そんなことは些細なことで、やっぱり自分がどう思って行動したかが大事だと思います。特に"どう思うか"のところが誰かからコピペしてこれない、自分の部分なのです。

中学生時代のワクワク。

こんにちは。

中学生時代と今の比較です。
かつて、我々が中学生だったころ、中学生は総じてお金を持っていませんでした。しかし、生活を楽しんでおりました。引きこもりで情緒不安定な中学生だった僕ですら、それなりに楽しんだ思い出があります。当時の娯楽は、限られたお小遣いで音楽CDを買って、しゃぶり尽くすくように聴くこと。ラジオを聴くこと。いずれもひとりで。この2つだけで生きていけました。

それから段々と歳を重ねて、自由になるお金も増えていきます。CDに回せるお金も増やすことができます。けれど、現在、音楽を聴くことに、あの頃ほどのワクワクは感じられなくなってしまいまいた。それでもワクワクを求めて、CDを増やしてしまっています。それは正しい方法なのか。CDは増えてもワクワクは少なくなりました。限られたお小遣いでやくりくしていたときのほうが、楽しかった。という考えに至りました。

しかし、こと音楽に関しては、毎日聴き続けることで、意識無意識に関係なく経験値が高まっていきます。それで年をおうごとに新鮮味がなくなっていくという見方もあり、むしろ、そちらのほうが本質なのかもしれないと思うわけですが。

ワクワクしたい。