日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

季節のせいなら

  疲れてるなー。寒暖差か年度末の殺伐か。

  去年のブログを見てみると、去年もこの時期に疲れた調子が悪いと言っているんだな。季節の要因でそうなるなら、深刻にならなくてもいいか。なんとか乗り切ればいいだけだ。

  とはいうものの、つらい日々だ。もうこの世も終わるんじゃないかというくらいの辛さ。前にも味わった気もするが、現前のものは前との比じゃないと思うのが常だ。乗り切れるとは思うけれども、現状は最高につらい。毎日を凌ぎなら回復を待つ。

山が見える。

  よく晴れているのに、家から富士山が見えない。もう春なんだな。家から富士山が見えるのは冬に限られているのだ。なぜだから知らないが、暖かい時期には見えない。

  北の方角に目を移すと、群馬の山々が見える。こちらは季節に関係なく見える。赤城とか榛名、浅間山なんかだと思うが、どれがどの山かは知らない。赤城とか榛名には実際に行ったことはあるのだが、家から見えるのがどれかわからない。郷土について知らないことが多い。でも、あんなに多くの山々が眺められるのでは、学ぶにも困る。

気分は落ち着いている

  気分は落ち着いている。落ち着いた気分のなんと快いことか。こういう気分を味わうのはいつぶりだろう。荒れ狂う嵐のような日々が続いて心は疲弊しきっていたからな。

  急にひとりであることを意識しだして、心は落ち着きを取り戻した。たぶん、いつもこんな気分でいられるわけではないと思うから、一日のうち、あるいは一週間のうちにいくらか穏やかな心持ちでいられる時間を持てればいいと思う。その穏やかな時間で休息して、また避けたいけれど避けられない荒波の世界へ飛び込んでいく。その繰り返しなのだ。

いい季節に向けて準備したのに…

  書店にて先日発売になった地図、『ツーリングマップル2024年版』を購入。いままで使っていたツーリングマップルは、驚くべきことに8年前の2016年版だった。少々の不便を感じながらドライブに使っていたのだが、何故か今日まで買い替えるという発想に至らなかった。不便がほんとうに少しで、あまり影響を感じられなかったためだ。しかし、さすがに8年だし、もういい加減買い替えないとと書店へ行ったのだ。

  しばらく前に、家でドライブの計画を練ったり復習したりする用の地図も新しくしたので、これで晴れて持ち運び用も最新版となり、春からの行楽シーズンの準備が整った。ええ、整ったのだが、外に出る気持ちが段々薄れてきた今日のこの頃なのだ。車はバッテリーも交換して快適になったし、季節もよくなってきたのに、何故今気持ちがノらなくなるのか。この前は週に2回も給油するほど出かけていたというのに。そう、そういう極端な距離を走った反動なのかもしれない。あまりいい季節じゃなかったのに、何故そんなに走ったのか。振り返ってみれば何故何故ばかりで自分の行動が理解できない。残念だ。

  とは言うものの、家での遊びの環境もよくなってきている。オーディオは調子よく音楽を奏でるし、プロジェクターでの映画も快適。ラジオを聴いたり、日経新聞を読むのも面白い。積読も多く、読む本には困らない。インドアな時期に入ったのかもしれない。それはそれでいいではないか。タイミングはよくないけれど、仕方がない。もっとコントロールできればいいのだが、まあいい。いい季節は人も多かったりするから、これでよかったと思えばいい。

 

横になりたいけど、お風呂が。

  何もしていないのに疲れている。早く横になりたい。でも、横になってしまうとお風呂に入るのがキツくなる。あるいは、寝落ちして2時3時にやっと起き出してお風呂ということになってしまう。それはよくない。変な時間に寝たりすると、やっと整ってきた生活のリズムが崩れる。また整うまでに時間をかけなくてはならなくなるのは嫌だ。

  生活のリズムが整うことの快適さを、ひしひしと感じている今日この頃だ。今日は訳のわからない疲れがあるが、ここしばらくは快適であった。少々の疲れがもとで堕落とは言わないまでも、いい加減な生活態度に戻ってしまうのは避けたい。ここが頑張りどころだ。何を頑張るのかはわからないが、とりあえず、ルーティン通りに過ごすことだ。

  とういうか、生活のリズムとかルーティンとか言うまえに、とっととお風呂に入ってその後で好きなだけ横になればいいだけの話なんだけど。

休みだ、出かけないのでブログ更新する

  今日は休みだ。休みの日に更新することが多いこのブログは、この出だしになることも多くなる。

  今日は疲れている。午前中、車にガソリンを入れに行っただけで頭が痛くなった。気分がノったらそのままドライブでもいいかななんて思っていたけど、とんでもない。すぐに帰ってきた。

  なんなんだ。折角の休みが。まあいい。家で過ごすことにする。音楽をかけてじっとしている。晴れているから、窓を開けて新しい空気を入れつつ。いまのところ、風は穏やかだから窓を開けていても大丈夫だ。昨日だか一昨日は風が強くて、車の運転にも気を遣った。

  音楽は何を聴こうか迷うことはなくなってきた。以前は、聴きたい音楽がわからないのに悩んだが、そういう時期は脱したようだ。今回は何を聴いているのかを紹介することはしない。紹介すると自分の世界が少々崩れるような気がするからだ。僕は、ブログをメインに生活しているわけではないので、自分の世界が最優先なのだ。そして世界は誰かが入ってきたり、目に触れて何かを言われ得る状態になると、たちまち不安定になり崩れはじめるような脆いものなのだ。

  では、何かを書いてネットに発表するのは止したようがいいと思われるかもしれない。しかし、それはまた違う理由によって否定される。いわばネットとかブログは、余興のようなもので、戯れになにか書いておくだけの環境なのだ。気紛れに戯言を書く処はあってもいいと思う。自分の世界が崩れない程度に。

ルーティンと気分の安定

  もともと気分の浮き沈みが大きい身上。落ち着いて生活する方法を日々探している。去年くらいから続けているのは、朝、出かけるまでのルーティン化。特に朝起きてから出かけるまでは、時計を見ながら、お昼のお弁当を作り、ご飯を食べ、コーヒーを飲む、これらを時間通りにこなしていく。特に意味はないように見えるのだが、続けていると、気分が楽になってきたように思う。朝に限っては、浮き沈みも少なくなってきた。

  ルーティンにすることの何がいいのかというと、余計なことを考えないこと、それどころか、次に何をするのかすら考えなくて済むので、頭が楽になる。たまにイレギュラーなことが起きることもあるけれど、そういう時は、そのイレギュラーなことだけを考えればいいから、やはり楽。