日常の凸凹

見なれた日常の記録です

欠陥を受け入れる(支離滅裂な雑文)

自分は決定的な欠陥があるのに、ここ数年はふつうの人間のフリをしていた。
"フリ"をするのは、はじめはなんともなかったが、だんだん辻褄が合わなくなってきた。それでも辻褄を合わせようとしていたら、無理が生じてきた。まず、喋る言葉がおかしくなったし、家の外に出るのが怖くなった。車の運転も、他の車とのコミュニケーションだと捉えると自信をなくしていった。

そういう日々を繰り返していたが、先日、飲み会後のカラオケの最中に、もうこれ以上"フリ"をしているのは限界だと気づいた。どうして限界だと思ったのかは思い出せないが、もう続けられないと思った。

こうなる前の欠陥を受け入れていた自分に戻ろう。なまじ仕事が人並みにできるようになってきて、他のことも並にできるかもしれないと希望を持ったのがいけなかった。やはり欠陥は決定的で、埋め合わせは不可能なんだ。以前の俺は、終日音楽を流して考えごとをしたりしていた。音楽を流していたことがミソだった。それで落ち着いて日々を過ごすことができていた。それが無理を生じていた時期は、音楽を言葉で理解したり還元して表現しようと努めていた。それは難しく、今思えば苦痛だった。やがて音楽を聴くことに疑問を持って聴けなくなってしまったんだ。

気づいてから、音楽を流すようにした。徹底して。言葉が邪魔なので、ラジオを消して、テレビも付けない。そしたら、落ち着いた心持ちに戻ってきた実感がある。時事の話題に疎くなく恐れがあるが、それは周りの人に聞いて教えてもらえばいいと思う。