日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

メルヴィル「白鯨」を読みはじめて

「概説アメリカ史」というその名のとおりの歴史の本読んだときに、ちらっと名前が出てきた19世紀の作家、メルヴィルの小説「白鯨」を少しずつ読んでいる。前掲の歴史の本には、アメリカのさまざまルーツを持つ国民、いわば諸国民の国民のアメリカ人が、いかにして独自の文化を作り出していかを試みてきた歴史だと文化の項にはあった。メルヴィルの頃は、まだ独自の文化は創造されていなかった。その時代の古典的名作がこの「白鯨」なのである。

しかしながら、まだ読み始めて日が浅い。ページにして170ページ目くらいの場所にいる。この小説は文庫版上下巻で各々400ページ超だから、まだまだ楽しいことが待っているに違いない。

ここで、読んでいての大枠を語るのは止そう。個別の感想をひとつ挙げよう。

「白鯨」を読み始めて、新しい言葉を知った「吝嗇」ということばだ。人に対して、お金や物を惜しむことを意とする言葉のようだ。ケチのことだな。これを吝嗇というと文学的というか、あからさまに言うよりスマートだ。スマート(賢い)だけど、一般的に用いられている言葉なのか。少なくとも現代では。僕が知らないだけなのか。何が言いたいのか。このケチなさまをオブラートに包んで表わすのが秀逸。ぱっと閃いたのはこれだったけど、読んでいると他にも知らない言葉がたくさんできて、辞書で調べる。それでいつも思うのは、どの言葉も使う場面も秀逸。言葉とそのタイミングに気をつけて読んでいると楽しくて仕方がない。

難しい本だとか、読み終わったあとの達成感があるとかレビューにあったけれど、今のところそんな苦行を強いてくる小説とは思えない。