日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

偶の日曜休み

今日は三が日ということで、普段、出勤することになっている日曜日でもお休みでした。

日曜日といえば、山下達郎のラジオ『サンデーソングブック』が放送される日です。その存在は認識していて、休みだったりして機会があれば聴きたいと日頃から思っています。そして今日。他のことをしていて、気づいたときには放送が終わる10分前になっていました。残念です。

こういう僕みたいな人のために、radikoのタイムフリーという1週間の間聴き返せるサービスがあるのですね。そこで聴けばいいのですが、『サンデーソングブック』は音質にもこだわりがあるというので、やっぱりラジオで聴きたい。次の機会を待ちます。

書き出すのは慎重さを要する

一昨年くらいから、ノートに手書きで思っていることを書き出すようにしたのですが、どうもこれがよくないような気がするのです。言葉にすることで、困りごとが増幅されているのではないかと思うのです。

たとえば、口が回らないな、うまく喋れないなと感じるようになって、このままでは口が利けなくなるのではないかと心配していると書いたことがありました。すると、喋れない傾向は日に日に強くなって、現在では、言っていることが相手に伝わっているように思えません。

悩みごとやモヤモヤすることを言葉にすると、すっきりするとか、問題が明確になって解決がしやすくなると聞きます。しかし、今回の僕の経験を踏まえると、言葉は軽率に扱ってはならず、慎重さを要する部分もあるようです。

辻褄を合わせる生活に疲れた

辻褄を合わせるようにして暮らしています。論理的矛盾がないように、合理的に、つまり、おかしく見えなように心掛けています。しかしながら、往々にして、自分はおかしなこと言ったりしたりしているように思っています。

新年を迎えるにあたって、そういう生活とはおさらばしたいと、ふと、思いました。辻褄を合わせるようにする生活は、自分というものがない。他人主体の生活です。それも、そもそも存在しない、自分が作った他人がそう思うだろうという基準について、自分を合わせていく生活なのです。そういう生活は、二重の意味で苦しい。ひとつは、"基準"を作ること、もうひとつは、本意ではない"基準"に合わせることです。両方とも非常に神経を使って考える作業になります。

もう疲れてしまいました。疲れは休息で取れるので大したことはないのですが、恐れるべきは、自分をなくすことのほうだと感じています。生活において、主体的な判断ができなくなってしまうことを恐れています。既にいくつかの生活上の行為、人と話すことやお店で買い物をすることなどに辛さを生じています。

最近はそうした軽い困難について、ルーティン化や定型化で対応しています。お店では毎回決まったものしか買わないとか、生活の時間、起きる時間、寝る時間、コーヒーを飲む時間まで決めて、考えて判断する事柄を減らしています。しかし、人との会話については、イレギュラーな要素も多いので、頭を使い、消耗してしまいます。これが課題です。

こうした頭を使って判断する要素を減らすことは、主体性の低下を止めることに繋がるのかまったくわかりません。逆に、頭を使う要素が減ることによって、低下を進めることになってしまうかもしれません。ここは、一時的なものにとどめるのが得策のように思います。今は、疲れている。休息が必要だと考える。休息して様子を見て、主体性がなおも戻らないようなら、次なる対策を考える。こうすることにしてみましょう。

年末の雰囲気

年末の雰囲気は嫌いだ。慌しくて、自分のペースが乱される。もしかしたら、これから来るお正月もそんな感じになるかもしれない。毎年のことなのだが、慣れない。

今年、そんな調子を崩す年末への対策は、部屋に籠り、大きめの音量で音楽を流してじっとしていることだ。最近の調子を崩したときの対処の仕方を踏襲することにした。

まあ、年始も元旦から仕事に行くし、長い連休は取らないから、この仕方でお茶を濁せれば、家にいる時間はなんとかなりそう。

けんちん汁などの素朴な味

先日は冬至だったわけですが、今年も相変わらず、ゆず湯に入り、けんちん汁とカボチャの煮物を食べました。こうしてブログに書いても、僕は用意されていたものを食べたりお風呂に入ったりするだけ。さながら広報係です。

大人になって、けんちん汁とか、最近よく食卓に並ぶサトイモの煮物、大根がメインのブリ大根などの素朴な味が好みになってきました。家で出される料理がおいしくて、もともと外食はあまりしない質でしたが、コロナ禍もあって、ますますしなくなりました。

いよいよ故障か

ここ数日、デスクトップパソコンの調子がよくない。ネットを見ていると、突然、固まってしまって、どうにもこうにも動かないのです。サブのノートパソコンを使って、この状態を言葉にして検索しまくりました。出てきた対処法を藁をもすがる思いで試します。が、それらの対処法は、ことごとくハズレ。どの対処法も、この突然で、頻発する固まる現象に対処できない。検索した最後に載っていた、最後の手段。電源ボタンを押して電源を落とす。これでなんとかパソコンは止まりました。最後の最後には電源ケーブルを引っ込ぬくんだと言っているサイトもあったけど、そこまでには至りませんでした。

その場しのぎの電源を落すだけじゃ、解決にならなそうな気がしています。事実として固まるのは頻発していて、まったく解決されていないのです。

今日は、ハードが悪いのではないかと思って、パソコンの筐体のフタを開けて、見てみましたが、ファン関係はちゃんと動いていました。それ以上のことはわかりませんでした。

 

とうとう来るときが来たんだなと思います。故障です。そして世代交代です。サブのノートパソコンに覇権が移るのです。先日、たまたま、このサブノートをグレードアップしたのです。SSDを500GBのものに。OSのLinux Mintも新しいヴァージョンにしてあげたのでした。そういうのを目にしていたデスクトップ氏が引導を渡すときが来たのだと思ったのかもしれません。

です・ます調

最近のブログの文は、意識して「だ・である調」にしてきたのですが、その調子だと、どうも感興に乗らないことがあって、歯痒い感じがしていたのです。「だ・である調」だとどうしても堅苦しく断定的なイメージになってしまいます。そういうのは、本来の僕の性格からすると、苦しく無理があるように思えてきたのです。だいたい、断定的に言えるほどの確固たる意見など持ち合せていないのです。

そうして、今回のブログ記事では、「です・ます調」にしているわけですが、久しぶりなので、言葉遣いがおかしいこともあるかもしれません。