日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

音楽系日記 7月1日

注文していたCDが届いた。ジェームス・ブラウンのライブ盤を2枚だ。

2枚のうちの1枚、『セックスマシーン』の話だ。これが前半が疑似ライブであると注文してから知った。そのために、熱さが削がれているのではないかと心配していた。ちなみに後半は本物のライブだ。しかし、心配は杞憂であった。問題の前半は、勢いこそライブのものではなかったが、熱さはかなりあり、楽しめるものだった。

これだから、変に情報を入れないほうがいいのだ。今回のように余計な心配をしたり、アルバムの評価にバイアスがかかったりする。CDなんて何となく直感で買えばいいのだ。効率的でハズレを引かないような買い物は面白くない。

6月26日 音楽日記

パーラメントの『P-ファンク・アース・ツアー』とニール・ヤングの『ライブ・ラスト』を聴いて。

いずれも、ながら聴きを許してくれないアルバムだと思った。圧が強くて、ほかのことができない。BGMには適さない。はじめ、何かしながら聴いていたのだが、気分が悪くなった。音楽を聴くのに徹すると、気分は否応なく高まった。

キュウリ丸齧り

おやつにとれたてキュウリを食べた。丸ごと一本。もろきゅう味噌をつけて齧りついた。おいしい。

昔、弟が保育園児の頃、卒園記念か何かの文集に好きな食べ物をキュウリと書いていたのを思いだした。その頃は、キュウリとはねぇ、ほとんど水分の、特に目立つ味もしない、なんと奇特な。と思ったものだが、今日、弟のその時の気持ちもわかった気がした。キュウリはおいしい。

気分その他諸々とマッチ

昨日からCDプレーヤーに入れっぱなしのCDを再生してみたら、今の気分その他諸々とマッチして、最上の時間になっている。昨日聴いたときにはそうでもなかったのに。

今の状況。天気は雨。気温19℃ 時間は午後。そして再生しているCDは、オイストラフのバイオリンとオボーリンのピアノによる、ベートーベンのバイオリン・ソナタ全集から第9番と第10番のディスク。

バイオリン・ソナタっていうところがいいんだろうな。これが同じベートーベンでもピアノ・ソナタだとこの状況にはミスマッチだと思う。あと、バイオリン・ソナタの中にあっても、第9番第10番といった後期作品だというのも重要な要素のひとつだろうな。初期作品ではこんな気分にならないかもしれない。

こういう1枚のCDを見つけた日は、ほかは何もいらないのである。このCDの再生時間の60分で、他にうまくいかないことがあっても帳消しになる。

毎日のように音楽を聴いていると、その経験の蓄積で、今日のように気分やその他諸々にマッチする音楽をチョイスする打率が上がっていくのだろうか。

それは果たして喜ばしいとなのだろうか。たまたま再生したCDが最上の時間を過ごさせてくれるほうが感激しそうなのだが。

日常使いの言葉

自分の使っている言葉が、使おうとして頭に浮かぶ言葉が、結構古風なものな気がしている。この前も、家族でパパイヤってどんな果物だっけ?という話になったとき、僕は、「南洋のアレじゃない?」と言った。(ちゃんと調べてみると、メキシコとかカリブ海のほうのものらしい)この「南洋」という言葉が出てくるのだ。「南洋」って…思えばあまり聞かない言葉である。そのほかにも日常の生活の中で、近代文学に出てくるような単語がよく出てくる。急に例示せよといわれても、日常のことは意外と出てこないのだが。たぶん、幼少の頃に祖父母が使っていた言葉遣いの影響もあるのだろう。僕は、特に文学に親しんだわけではないので、そちらのほうが大きいと思う。

 

と、いうような事を書いてみたものの、自分の書く言葉は、そこまで古風ではないような気もしている。「古風」であることを話題にしたものだから、意識してしまったのかもしれない。普段書いている文も読んでみよう。

6月12日 音楽日記

今日も仕事は休みだ。午前中は、PHISHポール・サイモンサンボマスターを聴きつつ、ネットを見ていた。

いずれのアルバムも聴いて感じること、思うことはあったのだが、まごまごしているうちに泡のように消えてしまった。思ったことはすぐに書き留めておかないと。思い出そうとしてももう無理だ。後の祭りだ。

たまに間に合って、ノートに書く段になったとき、こんなことを書いている自分がやっぱり恥かしくなる。歳もあるのかな。思春期くらいの時期だと気にせずできるんだろうな。

ぼーっとしている。

今日は休みだ。最近の休みの日はぼーっと過ごしていることが多くなってきた。いいことだ。有意義な一日を過ごさなければ、何かしないと無駄になってしまうという半ば強迫めいた焦りが薄くなってきている。

 

ぼーっと過ごすのは楽だ。楽しくもある。ぼーっとしていても、急に何か閃いて、書き留めたりしている。楽しい。ぼーっとするのが創造的な時間であると云われることのいい例である。

 

ぼーっと何をしているのか。矛盾するような問いだ。主に音楽を聴いている。本当に何もしていない時間もある。今日の音楽は、今のところPHISHFrank Zappaだ。長いアルバムを緩く聴いている。