日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

話しかけるのが上手くない

家族や職場の人たちに話かけることが上手ではない。気軽に話しかけられない。向こうから話しかけられる分には、親しく会話することができるけれど、自分から話しかけることはあまりない。なんと受け身なのことか。この根底には圧倒的な不信があるように感じている。

僕はそこに環境的要因を見る。うちの家族の男ども、父親も祖父も受け身な感じだ。自分から積極的に話しかけるのを見たことがない。幼少の頃の僕に対しても、あるいは大人の年齢になった僕に対しても話しかけてくることはほどんどなかった。たまに用があって話しかけてくる時も、どこかぎこちない。僕も父親らの影響を受けてしまっていると考える。

話しかけるのが上手ではないと認識しだしたのは、最近のことだ。今の職場でも、最初の頃は話しかけていくことに抵抗はなかったし、話しかけていた。家族とも問題なく話せていた。そう考えると環境的な要因に答えを求めるのはおかしいような気がする。いつからか話しかけるのに意識してしまうようになったのだ。

かつては不信はなかったように思う。当時は自分のことを取るに足らない人間だと思っていたから、不信も信頼もなく、諦めていた。だから捨て身でコミュニケーションができていた。それが職場に慣れ、仕事に慣れて人からなまじ信頼されている感覚を味わいはじめた。それからおかしくなっていったような感じもする。人から信頼されるのはありがたいことなのだが、それは、信頼されなくなる恐れを孕んでいた。信頼される心地よさを知ってしまったので、それを失なう恐怖を連れてきた。

また捨て身になりたい。人間関係を上手くやろうと欲をかかない自分に戻りたい。背信的であったりモラルを欠いた行動は慎むべきだと思うが、人の目を意識しすぎて不信になるのはこれまたよくない。人に揉まれると変わっていってしまうのだろうか。

年相応に追いつかない

30代にして年相応にできないことが多い。稚拙な言葉遣い、文章、行動の諸々。思えば、中学生の頃から年相応にできなかった。それで、いつも遅れを取り戻すために頑張ってきた。しかし、少し取り戻したかと思えば、同世代は次の段階へ進んでいて、いつまでたっても年相応になれない。

年相応とは何だろうか。一般的とか、ふつうと云われる類だろうか。でもそれは誰が定義したのか。何かこの年齢ではこのことができることが必要だと定義する機関があるのか。ないだろう。自分の中で他人から見た"年相応"とか"ふつう"を定義しているだけに過ぎない。ただ、年相応というのは存在していて、年相応の振舞いができなければ、それなりの評価をされるだけだ。ふつうじゃない人だなと人に思われるだけ。そのことを受け入れるべきだ。定義に縛られるべきではない。

お題「愛用しているもの」について

お題「愛用しているもの」

お題「愛用しているもの」について書いてみます。僕が愛用とまで言うものはあまりないのですが、強いて言えば、日頃音楽を聴くのに使っているオーディオ機器ですね。CDプレーヤーとアンプとスピーカーです。
音楽を聴くのには、スピーカーを使っています。前時代的ですね。僕は田舎住まいで隣の家まで距離があるので、苦情を気にせず聴けます。田舎の特権です。
CDプレーヤーとアンプはここ2年くらいで新調しました。前のの調子が悪くなってしまったので。スピーカーはもう10年くらい同じものを使っています。

毎日、仕事から帰ると電源を入れて、寝る前のひと時を音楽を聴いて過ごします。オーディオは音楽を聴くための道具の位置付けなので、使い倒しています。道具は使ってなんぼですから。

俺の青春を彩ったモノとは

俺の青春を彩ったモノ・コトは何か。一般的な青春ではなかった。一般的というのが何を指すのか不明だが、絵に描いたようなものではなかった。ひとりで音楽を聴く青春、ネットをひとりで見る青春、お金がなかったからラジオで音楽を聴く青春。結構多くの青春が挙がる。"ひとりで"ばかりで人とのつながりが決定的に欠落している。が、独自の世界観が構築されていて他人が立ち入る隙がなかったのだとも言える。肯定的に行きたい。音楽に精通しているわけでもないし、ネットの出来事にも詳しくない。ただ青春時代の多くの時間を費やしただけ。何を得たか。不明である。何か得ているはずなのだが、まだわからない。

スズメが行水していた

朝、用事を済ませるようと外に出ると、昨日の雨でできた水溜りでスズメが行水していた。

烏の行水という言葉を思い出した。この"烏"というのは、あの、黒いちょっと怖いようなカーカー言うやつなのか、鳥全般のことを指すのか、どっちなんだろう。

ジュディマリのベスト盤・FRESH

ジュディマリのベスト盤・FRESHを聴いていた。気持ちのいいアルバムだ。オリジナルアルバムは全て持っているから、曲で目新しいものはない。でも、気持ちいいからたまに聴いている。この気持ちよさは、マスタリングエンジニアのティム・ヤング氏によるものだと感じている。昔、高校生の頃、先生のひとりがミュージシャン志望だった。先生は、同じ曲でも収録されているアルバム、シングルでよく聴くと違いがあると話していた。それがどういうことなのか長年気になっていたが、わからずにいた。それが最近、急に腑に落ちた(?)やっぱりちがうんだ。マスタリングが違うんだな、マスタリングのエンジニアが。マスタリングがどんな作業なのかはよく知らない。でも、エンジニアによって特徴があることはわかる。

お金がない生活でも

お金がない生活でも人生を楽しんでいる人がいる。ネットだけにいるのかと思ったが、実際には周りにもいた。でも彼らは楽しんでいる自覚は持っていないように見えた。現状にあぐらを掻いて、「今、俺は楽しい」と満足しておらず、常にハングリーで、貪欲であるようであった。もしかすると、僕も他人から見ればすごく楽しんでいる人に見えるのかもしれない。