雨が降っていてる。今週は金曜まで雨らしい。今日明日と連休なのに残念だ。雨の中の街を見にちょっと行ってみようと思ったが、うだうだしているうちに時間は過ぎてしまい、面倒になってやめてしまった。
やることがないので、また音楽をかけて日記(ブログではないところに)を書いたりして過ごしていた。
芸術で記録系のジャンルは大変だと思う。音楽とか映画とか。今の作家たちは過去に発表された膨大な量の作品たちと戦っていかなくてはならないから。
例えば、僕はクラシック音楽を聴くのだが、持っているアルバムのほとんどが古の1950年代から70年代のものだ。これは僕の趣味の問題なのかもしれないが、タワーレコードなどの通販サイトで新譜として紹介されるのも、その年代の演奏者の高音質リマスター盤とか、たくさんの録音を集めた廉価ボックスなどだ。新しい録音はあまりピックアップされていない。ピックアップされないから、新しい録音の探し方がわからない。
この理由は、新しい録音のアルバムを作っても売れないからだろう。過去の、評価の定まった定番のアルバムのほうが売れる。今の人が技術的に劣っているのかはわからないが、過去の定番には敵わかったのだろう。昔の人は、記録に残っている明確な"過去"と戦わう必要がなかった分、ある程度自由だったろう。今の人は戦う相手が多すぎる。
今日も音楽の話だ。まず、音楽について人と話すのは憚られる。自分の無知がばれてしまうからである。だって世界には生きているうちには聴きれないどころか、触れることすらかなわないような音楽が溢れていのだ。知らないことだらけだ。
そんな自信のない自分でも、ラジオでミュージシャンが語る音楽の話題についていけることがある。そんなとき、ああ、少し成長したなと思う。
10代20代と暇な時間には常に音楽があった。車を持っていなかった頃は、それこそ音楽を聴くことが遊びの大部分であった。聴くことしかしていなかったのに、なぜここまで続いているのか他人から見れば謎だろう。よく音楽を聴いていると演奏のほうにも手を出したくなると言うからだ。
しかし、音楽は多様な楽しみ方ができる趣味のひとつである。演奏してもいいし、レコードを蒐集してもいい。もちろん聴きまくって、どんどん掘り下げるのも。
自分は、長い時間、音楽を聴いてきたけども、人に語るだけの音楽のウンチクや面白い話は持っていない。何を聴いてきたんだと思うが、それでも聴いてきたんだ。人に語る話を持っているだけが愛好家ではないだろう。多種多様な楽しみ方がある。
長く音楽を聴いてきて、獲得した能力なようなものがあると思っている。少し大袈裟であるが、人生を楽しむ能力を得たような気がしている。楽しみ方を知っていると、低コストで遊ぶことができる。楽しみ方というより、楽しむことについてのナレッジが溜まっていくと低コストになるというべきか。これから先、歳を重ねたあとにどんどん活きてくるナレッジである。