日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

10月31日 熱しやすく冷めやすい

 熱しやすく冷めやすいというか。今日だって、買い物に行こうとか紅葉を見に行こうとか、朝はいろいろ考えていた。でも、結局、どのプランにもすぐ冷めてしまって、家で音楽を聴いている。こんなことが毎日のようにある。あれしようこれしようと思っても、何か理由をつけて何もしない。しなければならないことではないので、別にそれでもいいのであるが。

 プライオリティが低いんだなと思う。どのプランも。はっきりしているんだ、本当にやりたいことと、そこまでではないことが。いいじゃないか。抵抗なく実行できたり、続けたりできることは本当にやりたいことで、それ以外はすぐ冷めて実行できない。そうわかったならば、迷わなくて済むから楽ではある。たまに、プライオリティが低いプランで余暇を過ごすことがあると、後に時間を無駄にした感じに襲われる。やめようと思う。

10月31日

 ここ2、3回の休みの日は終日音楽を聴いていすごしているが、時間が過ぎるのがやたら早い。1枚のアルバムがすぐ終わってしまう。こんな感じは学生の頃のとき以来だ。学生の頃は、友達もおらず、遊ぶこともなく、時間がありあまっていた。それでも、時間が足りないと感じていた。聴きたいアルバムが次から次へと棚から出てきて、聴いてるうちにすぐ1日くらい経ってしまう。そのときに戻ったようだ。

  

10月29日 検索して

CREAMのWheels Of Fireを聴いている。聴く前、聴いている途中に、ついtwitterでこのアルバムについて検索してしまった。ジャック・ブルースのベースがいいとか、3人のインプロビゼーションにおけるバトルのようなぶつかりあいが熱いとか。すごそうなアルバムだなと思わえる情報を得てしまった。

アルバム再生中には、言われていたジャック・ブルースのベースやインプロビゼーションばかりに目が行ってしまった。ゆっくりとアルバムの全体像を把握するとか、自分で聴きどころを探す楽しみがなくなってしまった。とくに聴きどころなんて、人から提示されて、そうなのかと聴くのは予定調和で楽しみを逸している。自分が聴いてきた音楽体験を基に自分で聴きどころを決めて楽しむ。それも一興。

ネットでのレビューにも同じことが言える。レビューを基に聴くアルバムを選ぶのは、好みに合わないものを最初からある程度排除できる点で時間とお金にかかわるリスクを回避できる利点がある。でも、聴いたことのない、興味のなかったジャンルから遠ざけてひとつの楽しみを奪ってしまう難点がある。

僕が一時期、アルバムを購入するときに参考にしていたのは、当時の2chの「最高のライブアルバムを挙げてけ」のようなスレッドだった。そこはその名の通りタイトルを挙げていくだけのスタイルのスレッドで、アルバムついてのコメントはほぼなかった。ただただアルバム名が挙げられていっていた。僕は、タイトルだけを見てカッコいいなと思ったもの、ピンと来たものを買っていった。CD店でのジャケ買いに通ずる買い方だった。この買い方で楽しいアルバムを多く見つけることができた。
時間とお金をかけて自分で探すことの楽しみ。効率を追求しただけでは限界がある。

10月28日 感想を言うには

いまさらだが、音楽や小説など芸術作品の感想を述べるのは躊躇う。自分の感想が的外れであったときに恥ずかしい。だから、たまに人に感想を求められたときは、ネットに載っているような、最大公約数的なことを言う。おもしろくない感想を。

ネットが勃興して、ちょっとしたことでも調べてしまう。芸術作品についてもそうだ。すぐにみんなはどんな評価なのかtwitterなどで検索してしまう。昔は2chも見たが、そこでは何か的外れな感想を言うと、すぐ批判される。僕は外野で見ているにとどまり、あの空間で感想を述べることはなかった。でも、あの頃は10代20代。ネットにいるようなベテランの愛好家と対等に渡りあえるような話ができなくても不思議はない。当時は気づかなかったけど、そうだろう。

今、30歳を超えて、いくらか芸術作品への見方がそれなりに変わってきて、広く深くなっているのか。わからない。しかし、ネットという表現の場においては、上には上がいて、自分の発信が後に恥ずかしいものであることに気づくことはいつになっても変わらない。では、どうしようか。知識が乏しいにもかかわらず、全てをわかったかのような主語の大きい断定的な物言いを避けようと思う。ちゃんと知識をつけて、それでも上がいるから、言い方に気をつけて自分の感想を言いたい。

10月26日 行き詰まりと音楽

 休みの日に何をしているか聞かれたことがある。僕は音楽を聴いていると答えた。一日中聴いているの?と聞かれた。一日中だと返した。それから音楽を一日中聴いて過ごす休日はふつうじゃないんじゃないかと気になってきてしまった。気になって、音楽が楽に聴けなくなっていった。

 その質問を受けたときと前後して、どのアルバムをかければいいのかわからなくなってしまうことが多くなった。音楽を聴きたいのに、どれを聴けばいいのかわからない。これには悩んだ。音楽趣味は終わったのだと何度も思った。

  この2つの出来事に関係があるのかどうかは定かではない。たまたま時期が一致しているだけで、まったく関係のない出来事なのかもしれない。しかし、両者に共通して起った、音楽を聴けなくなったという大きな問題は切実なものであった。体調・精神状態を悪くした。もともと精神のほうは弱かったのだが、ますます悪くなってしまった。音楽を聴くのを諦めて、ドライブするとか、野球を観るとかしてみた。それぞれ楽しいのだが、そこまでハマれない。

 昔、愛好家が、その愛好する分野から離れた時期を経て、また戻ってきたときにその情熱が以前より増したと聞いたことがあった。そんなこともあるのか。僕もまた音楽に戻ることがあるなら、そんなふうになるのかな。そうだったらいいな。一方で、30歳を過ぎてからどうしても昔のままの趣味が楽しめなくなってしまった。面白いはずのコンテンツは供給されているはずなのに、自分が追い付けない。別の趣味に移動すべきか悩む人もいる。と聞いた。戻らないなら他の楽しいことと出会えるのかな。音楽を聴くことは使命ではないから、戻らなかったら戻らなかって別にいいか、音楽に固執することはないと考えるようになった。

 結局、音楽を聴くことに完全に戻れたかといえば、まだ疑問も残るが、以前よりも聴けるようになった。でも、歳もとったし、知識や経験が蓄積されて、いままでと同じ楽しみかたはできないと考えたほうがいい。違った楽しみかたが見つけられればまた趣味に彩りができるのではないだろうか。

10月25日 ログ

 今日は天気が良かったので、窓を開け放っておいた。外の空気を入れながら音楽を聴いていて一日が終わった。天気が良いときは、毎回、まず出かけるか考えるが、出かけないでこうしてのんびりすることのほうが多いな。ちょっとでも家から出たほうが、一日を無駄にした感じがしなくていいのだが、今日は一歩も出なかった。

 

10月25日 穴場スポット

 久し振りに茨城の那珂湊に行こうと思って、twitterで検索をかけてみた。なんか、最近は平日なのに混み合っているらしい。なにかあったのかな。聖地になったとか、ロケ地になったとか。とにかく混んでいるらしいから、今日のところは見送りだな。

 混み合っていない穴場的な場所はないのかな。やっぱりそういう場所は自分の足で見つけるしかないな。でも、穴場スポットでも、すぐネットに載ってしまう時代だから、穴場なんてもうないのかもしれない。

 …グーグル検索がちょっとずれている検索結果を出すようになってきているから、大手サイトの肝入りの場所以外はネットに上がっても情報の洪水に沈んでしまう。ようなことが起きていれば、穴場はまだ存在するのかもしれないが。ああ、でもtwitterがあるのか。