日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

居場所がないというのがわかった。

 自分の居場所がないと言う人がいるけど、僕には正直どういうことなのかわからなかった。しかし、最近、僕も居場所がないと呼ばれる状況になってしまったようだ。

 居場所がないというのは、自分の話を聞いてくれる人がいない状況なんだとわかった。これは辛い。今までは、話を聞いてくれる人がいなくても大丈夫だ、好きな音楽を聞いていれば問題ないと思っていた。しかし、そんなに生半可なものではなかった。キツいものである。それまでだって話を聞いてもらえていた感じはなかったが、こんな感じではなかった。

 

居場所がなくなってしまうと、これからどこのコミュニティに行っても話を聞いてもらえる気がしない。新しい居場所を作るのも躊躇ってしまう。これではこじらせてネットで暴れたり、リアルでも引きこもってしまうだろう。どうしよう。とりあえず音楽聴く。車で出かける。

ネットに頼らなければ。

 お盆に仕事をしたので、今日明日は休みだ。

 出かけると気分転換になるというが、行きたいところがない。今日も朝起きて、どこかへ行こうかといくつか検討したが、どれもピンとこなかった。頭のなかで考えているうちは、まだ少しワクワクしていた。それがインターネットで少し調べだしたら何だ。途端に意気消沈ですわ。

自分は何か持っているのかの問い。

 人生についての問いである。自分は何を持っているのか、今までの人生で何を手に入れたのか。この問いのきっかけは、自分は何も持っていないんじゃないかと気になったことである。もしかしかたら、何も持っていないかもしれない。

 

 みんなは何を持っているのか気になって、インターネットで検索しようとした。が、思いとどまった。これは個々人がそれぞれに答えを出す問いであると考えたからだ。もしかしたら、答えが出るころにはもう人生は残り少なくなっているかもしれない。そうなれば、それは僕のライフワークだったということだろう。

 

 いくつか、問いに答えるための念頭に置いておかないければならないことがあると思う。これは相対的なものではないというと。既に血肉になっている場合は、ふつう過ぎて最早、言葉に還元するのが難しい状況になっているかもしれないこと。言葉に還元して認識しても意味がない可能性も否定できないことなどか。

 

 問いに答えるには、クリーンな状況を想定しなければならない。実際にクリーンにしなくても、想定するだけで目的は達成される。ここでは、クリーンじゃない状況を作りだしている阻害要因を見つける作業が必要になる。すなわち、自分を思考停止状態にする、標準化されたシステムを意識的に見つけるのである。具体的には、マニュアル化さされている仕事や、「ふつう」のロールモデルを模倣するだけの生活である。それらを取り払ったところに自分が持っているものが浮きあがってくる。

 

 どうでしょう。自分は何か持っているのか、流されて聞こえのいい謳い文句を自分のものとして主張してしまう痛さがある人なのか。

考えてもわからないことは…

こんにちは。

延々と考えても明確な答えがでない問題があります。自分は人にどう思われているのかとか、5年後に自分はどうやって生活しているのかような問題です。
そういった問題を考えるのは、疲れるだけです。今まで僕は、無意識にその問題を考えることが癖になってしまっていて、調子を崩していました。

解決策として考えたのは、目や耳から情報をどんどん入れて、変な考えごとをする余地を減らしていくことです。昨日から実践し始めたばかりなので、まだうまくいくかはわかりません。でも物は試しです。

情報のトランスポーターとなれる人

 こんにちは。

 

 突然思いたったことを書いてみる。一言で言うと、情報のトランスポーターとして活動できるのは、名前が売れている人だけということだ。

 

 まず、「情報のトランスポーター」とは、ネットで見た、人から聞いた情報をブログで書くなどして右から左へ流す人のことと定義しよう。

 その右から左へ流した情報を見てもらえるのは、名前が売れている人だけであるのだ。まったくの無名の人が目から鱗の情報を発信しても、誰も信じてくれなくて、情報は価値のないものになってしまう。一方で、名前が売れている人が同じ情報を発信すれば、みんな「いいね」したり、拡散したりする。最近よく言われることだが、情報は、情報そのものより、誰が発信したかが価値を決めている。その情報が既に陳腐化してしまっているものである場合でさえも。

 

 情報が溢れる情報洪水の現代において、有力な「誰か」の発信に頼るのは、労力を考えれば自然の流れである。情報洪水の中から有益な情報をひとつ見つけるだけでも大変な時間を要する。

 しかし、有力な人が誠実であるとは限らない。自分の利益のために情報を受容する人を欺くかもしれない。それを頭の片隅に置いて、我々無名な人が情報に流されないためには、玉石混交の情報の海からひとつひとつ有益な情報を探す労力を惜しんではならない。

モゴモゴ早口

 こんにちは。

 僕は、喋るときモゴモゴしてしまうので、何を言っているのかわからないようです。直接、明示的に「何を言っているのかわからん」と言われたことはないのですが、近頃、僕が何か言葉を発すると、みんなそんな顔をします。でも、気を遣って何とか汲み取ろうとしてくれています。

 あくまで自分が感じていることなだけなのですが、最初は気にするレベルではなかったものが、積み重なってストレスになってきました。ストレスになると、ますますモゴモゴで早口になっていっています。もしかして、もう口が利けなくなるのではないかと不安になります。

 この問題の解決策を考えてみます。自分には自信が必要なのではないかと思います。以前、ネットで、自信がないとモゴモゴ早口になると聞いたことがあります。なんと安易な答えでしょうか。しかし、実際、自信がもてないこと、責任が取れないことは、しっかりとした言葉にできません。だから、あれやこれやと手を出さずに、自信が持てることだけ言葉にする。自信の持てないとについては、コメントをしない。今までの実感として、自信の持てない発言を繰り返していると、自信がある分野にまでそれが波及して、アヤフヤなモゴモゴになってしまう感じがします。余計なことは言わないほうがいいようです。自分がおかしくなります。

強制されるように聴いているアルバム

こんにちは。

職場の人に言われるままに、先週から聴き始めたUVERworldの「ALL TIME BEST」
半ば強制的に聴いています。ちょくちょく感想を聞かれるので。このままいくとUVER縛りのカラオケ大会が開かれるのではと思うくらいの勢いで感想を求められます。僕も応えるべく一生懸命聴いています。

音楽を聴くのに、聴くアルバムが自由に選べないのはどうなのかなって思っていました。けれど、強制的に聴かされるのも違った楽しみがあって、一興あるなと感じています。何より、アルバム選びで迷わないのが楽。こんなに楽だっとは思いませんでした。また、人から言われたものを聴くとなると、自分では到底買うことのないだろうジャンル・アーティストの作品との出会いが生まれます。これは幅を広げるのに簡単で重要です。元来、友達がいなかったので、こういう幅の広げ方ができませんでした。

肝心のUVERの感想は、まったく新しく出会うジャンルなので、まとめるのが大変です。今まで聴いてきた、60年代70年代のライブ盤の傑作ばかりの頭では、UVERは新しすぎて刺激的です。