日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

ヘッドホン音楽は気持ちいい

 こんにちは。こちら関東地方は曇っています。

 

 ところで、ヘッドホンで音楽を聴くの、気持ちいい。

 いまごろ気づいたのか?ええ、一昨日あたり気づきました。それまでは、家族や遠く離れている隣近所を気にして、スピーカーからヒソヒソと囁いてくるような小さな音量で聴いておりました。囁くような音量でも「音楽はいい、素敵な音楽たくさんある」と数百枚のCDとともに音楽ライフを過ごしていたのでありました。

 しかし、先日、ネットのショッピングサイトを見ていると、数量限定、在庫限りの特価ヘッドホンアンプを見つけました。そいつは、憧れの某英国メーカーのもので、値段も懐と相談するまでもなく即決できる水準だったし、なにしろ、廉価といえど憧れのメーカーだったことが背中を押してきたので、買ってみました。

 数日後、商品到着。早速接続。音楽をかけると、冒頭に言ったように、気持ちいい。爆音とまでに上げなくても気持ちいいぞ!これはうちのCD棚のCDひとつひとつを聴き直す必要があるな!

 音に関するコメントはそれを表現するボキャブラリーを持っていないので割愛しますね。さしあたり時間を見つけて聴き直す作業をしていきたいと思います。

@休憩室

 こんにちは。

 会社の休憩室での話。高校生の頃は何して遊んでた?という話題になった。ゲーセンとかファミレスでくっちゃべるとか、友達の家でグダグダしてオールして学校行くみたいっていう人がいて。みんな、うんうん、そうだったよね。と頷いていた。

 ぼくはというと、友達はいなかったので、外で遊ぶことはなく、アルバイトをしていたわけでもなかった。ありあまる時間を何をして過ごしていたのか。覚えているのは、お小遣いを少しもらって、CDを買って聴いていた。お金がないからラジオで音楽を聴くことも多かった。ここまでは比較的キレイな高校生時代の思い出。一方で、当時は精神をやってしまっていたから、よくない考えに頭の中を占められていて、ひとりキレていたりしていた。よくない考えに襲われていたけど、友達がいなかったから、悪いことはしなかった。お薬をODしたりもしなかった。リスカもしなかった。でも、ひとりキレてすごく不安定な表情をしていたと思うし、実際に不安定だった。家族には心配をかけたと今は思う。

 音楽やラジオを聴くことしかしなかったり、ひとりキレていて傍目からは可哀そうな高校生時代といわれてしまうかもしれないが、楽しい時代だったと思ってる。音楽は今でも聴いていて、あの頃聴いていたアルバムを聴き返すこともある。よくない考えはまだ襲ってくるけど、当時よりはうまく対処できるようになった。苦しんだ時期もよくない時間じゃなかった。

インドア生活が充実

 こんにちは。今日は、3月下旬並の高い気温が予想されているようだけど、少し風があるのかな。体感気温がどうなんだろう。相変わらずインドア派、部屋で過ごす僕は、カーテンを開けて陽の光の暖かさだけを享受しているので、暖かく過ごせてる。

 

 今日の話は、音楽視聴環境。最近、休日のインドアな音楽生活を充実させるために、ヘッドホンアンプを導入した。ヘッドホン用のアンプだ。ふつうのオーディオのアンプにもヘッドホン端子は付いているが、ヘッドホンに特化したアンプのほうが高音質らしい。餅は餅屋ということだ。

 接続をいろいろ考えて、ブルーレイプレーヤーやCDプレーヤー、パソコンに入れた音楽までいい音で聴けるようにした。まだ車で言うところの慣らし運転をしてる期間だが、キレッキレな爆音で聴けるのも間近。早くスカっとしたい。いままで家族が気になって爆音で聴けなかったから、音楽の新しい面が見えるかも。

 大音量の長時間リスニングは耳に悪いと聞くからほどほどにしないとだが。

考えていることを表す術について

 自分が考えていることを文章にしたり人に語ったりできたら素敵だなと思う。でも、考えていることを的確に表す言葉を探したり、一言で表せないことでも、何か言葉を綴ってまとめることでも、自分の満足のいくように表現するのは難しい。絵を描くでも音楽を作ったり演奏する方法もあると思うけど、なんとなく文章にすることを選んでいる。

 今までいくつものブログを作っては消し作っては消しを繰り返してきた。どうしても考えていることと文章に書いていることとのギャップに耐えられないのだ。こんなに難しいんだから、きっと、世の中の多くの人がいろんなことを考えているのだろうけど、表現する術を持っている人は少ないではないかと思っていた。

 よくよく考えてみれば、表現といっても趣味を使って表現することもある。例えば、レコード収集が趣味の人は、レコードを無尽蔵を買うのではなく、レア盤であったり、ジャンルであったり、限られた資金のなかでどのレコードを買うのか考えている。考えた結果の表現が実際に収集されたレコードに表われる。

 

 考えたことが何か結果として表われることが表現と定義すれば、文章に固執することもないんだろうな。それでも文章に固執してしまうかもしれない。

ももクロのニュースとその影響

今日のももクロのニュース

headlines.yahoo.co.jp

 ももクロの過去のライブ映像作品の中古市場価格が上がる可能性がある。2014年の国立競技場のライブのブルーレイは買っておきたい作品だった。急いで買うか、ほとぼりが冷めるまでしばらく待つか見極めたい。

冬にあったイベント。

幼いころの記憶を急に思い出しました。

毎年、冬の時期、12月、1月、あと2月もだったかな?の各月の20日くらいに、「えびすこ」と言っていた行事があったのを思い出しました。この「えびすこ」の日には、秋刀魚の塩焼と、他なにか2つくらいの決まった料理と、さらにお賽銭的にお金を家にある神棚にあげて、自分たちも秋刀魚等を食べると金運が上がるといわれるものだったとおぼろげに記憶しています。

今ではすっかりやらなくなってしまいましたが、これは全国的にある風習なのでしょうか?ちなみに家は関東地方です。

相手のことを考えるのを楽にする施策

 人との交流が少ないように思う半生です。

 学校には行かないし、大学でもサークルやゼミで仲間と切磋琢磨したような思い出もない。孤独に過ごしていた。孤独なことに、このままじゃいけないとか寂しいと思うことはなかった。

 最近になって、少し問題だなと感じるようになった。仕事をするようになって、相手が何を思って、何を欲っしているのか推し量るのが難しい。相手の想いを想像するのに労力を費やしてしまって、自分の作業をする段には疲れてしまって思っているように動けない。

 相手を推し量るのが効率的じゃなくて疲れてしまうのは、自分が何を欲っしているか認識していないからだ。僕は、基本的に他人を信用していなくて、自分で何とかしようとするので、誰かに何かをして欲しいと期待することがない。だから、他人に何をしてもえれば嬉しいのか、助かるのかがわからない。自分がされて嬉しいことがわかれば、相手にも自分がされて嬉しいことをすればいいわけだから、完全じゃないとしても推し量るのが楽になる。

 他人を信じるには、いろんな人とコミュニケーションを取って、危害を加えてくる人はそう多くないどころか圧倒的に少ないと思えるようになることだと思う。安心したい。