今週はゆるめのシフト。連休があって、1日出て、また休み。休みが3日あっても、そのうち2日は用事があって完全オフというわけにはいかなかった。今週最後の休みである今日も、車のディーラーに行く用があるので半日は潰れてしまう。午後からがオフになる。
今日は天気も良さそうだし、出かけたくなる。午後から少し出かけてみようか。と思案している。どこへ行くかは決めていないけど、出かけたい。遠くへはいけないけど。
今週はゆるめのシフト。連休があって、1日出て、また休み。休みが3日あっても、そのうち2日は用事があって完全オフというわけにはいかなかった。今週最後の休みである今日も、車のディーラーに行く用があるので半日は潰れてしまう。午後からがオフになる。
今日は天気も良さそうだし、出かけたくなる。午後から少し出かけてみようか。と思案している。どこへ行くかは決めていないけど、出かけたい。遠くへはいけないけど。
職場で人との関係でトラブルが起きていて、休みである今日も尾を引いて憂鬱な気分だ。よくない。休日は職場でのことは忘れないといけない。でも、今回のことは、家で何をしていても、移動中でもなかなか胸中から出ていかない。それほど重大な問題だったということなのか。
普段、抑制的で人前で怒りを露にしないのだが、一旦抑制が解除されるとその反動に苦しむことになる。あまり経験のないことだから、反動の対処についてもよくわからない。現在、苦しんでいる。しばらく続くだろう。職場を辞することにならなければと思っているが、気が重い。
現時点で何が問題だったかといえば、具体的な怒りの内容より、普段から気持ちを抑えるような抑制的な性格がよくないと感じている。怒ることはもちろん、笑うこともなく、泣くこともない。うれしいとか楽しいと感じることも稀だ。喜怒哀楽の表現どころか認識すら怪しい。ネットで調べるとそう訴えている人は割と多いのだが、社会の病巣なのだろうか。抑制的であるが故に一旦爆発するとそれは大きいものとなる。
そして怒りの沸点も異常で、普段なら受け流せるところでも、それが不可能になる場合がある。予測不能で周りは困ることだろう。それも抑制のせいで、蓄積された鬱憤が行きどころをなくしたためだ。
適度な感情の表現が求められる。
今日はブログ、書いていくぞ。なんということはない休みの日だけど、書いていくぞ。
今日は歯医者に行くから、朝から遠くに出かけるようなことはできない。とりあえず歯医者に行くまでは家で過ごすことになる。インドア生活環境は充実しているし、むしろ最近はさらに増強しているくらいだから、楽しく過ごせるはずだ。ガワは整っているから、あとは心構えだけだ。楽しめる心持ちにないといくらガワがあっても難しい。
楽しめる心持ちが必要だなんて言い出したら、出かける時でも、楽しもうと思えなければ楽しめないだろう。だいたい、楽しむと意識しないと楽しめないなんて、楽しむ楽しむとブログで繰り返し書き続けている時点で、楽しめてなんていないし、病んでいるとさえいえる。恐しい。止めよう止めよう。楽しむことが宗教じみてくる。
事は単純で、今日は歯医者に行く。遠出はできない。家で過ごす。何をするかという話。こうしてブログを書くのもそのひとつかもしれないし、いつものように音楽を聴くかもしれない。暇つぶしという言葉はあまり好きではないけれど、何か予定があって、それまでの時間はそうなる。