日常の凸凹

見なれた日常から、なにか気づけたら

後ろめたさや罪悪感

気持ちに余裕が出てきたのか、アルバイト労働者でいることに後ろめたさや罪悪感を覚えるようになった。休みの日に出かけることが後ろめたい。家で音楽を聴いてのんびりすることにも罪悪感。後ろめたさを克服するための方策、アルバイト先の正社員になるにもそこは劣悪な環境。今は、後ろめたさを感じずにすむ方法を知りたい。自分は見下される存在なんだ、哀れみをもって接しられる人なんだと開き直ると楽になると思う。
後ろめたさも罪悪感も見下される云々も人の目があるから。とにかく人の目から自由になることが必要だ。

何を言っているのかわらなくなってきた

病気のせいなのか、薬のせいなのか、人との会話で自分でも何を言っているのわからなくなってきている。こんな状況になっても家や職場でもいじめられたりはしていない。ありがたい。もし、転職してほかの職場に行ったとき、こんなに受け入れてもらえるかはわからない。
でも、ただの考えすぎなのかもしれない。言語的なコミュニケーションがあまりできなくても、それを補って余りある非言語的な何かがあって、それで関係が維持されているのだろう。こと職場においては、なんらかの形で貢献できてさえいれば、自分がそこにいる意味があるのだから、自信をもっていいと思う。周りにとってマイナスになるような存在だったなら、すでにいじめられて迫害されていることだろう。

バカにされて当然だった頃がよかった

バカにされたり見下されたりするのが嫌になってきた。当然の感情だ。でも、自分の中では最近まで存在しなかった感情だった。以前はバカにされて当然、自分は勉強も劣等生だったし仕事もできない無能だと思っていたからだ。それが最近、仕事ぶりを評価されたり、自分のことをよく思ってくれている人も存在することを知って自信をつけた。自信をつけると、たまにバカにされることが許せなくなってしまった。バカにされないように守りに入るようになった。人目を窺うことが増えた。今まではその自己肯定感の低さを逆手にとって自由にやっていて、人にどう思われるかなんて気にもしなかった。残念だ。疲れる。

無駄使いがストレス解消法

去年一昨年と無駄にお金を使ってしまった。収入少ないのに。ちょっとお金ができるとすぐに使ってしまう、まさに低所得者の消費行動を体現している。
お金を使ってしまう要因は、ちょっといいかなと思ったものをすぐ買ってしまうこと。考えが浅い。そして大抵使わない。お金が貯まらない見本だ。
根底にあるのは、ストレスだと思った。よく云われることだが。将来の不安へのストレス、ストレス解消がうまくいかないと買い物に走る。買い物がストレス解消法だと考えれば、かかったお金は許せる額だ。でも、無駄だったと思っている。ほかのストレス解消法があったはずだ。以前は。思い出したい。
ストレス解消法はコストで考えるものではないだろうけど、コストがかからなくても解消されなくては意味がない。低コストで高い効果が得られればよりよいが、高コストでも見合う効果があればいい。今はそういう時期なのかな。

音楽だけ聴けない

2019年初のブログ更新。あけましておめでとうございます。

では、本題。
しっかり音楽を聴こうと思うけど、音楽だけを聴いて何もしない時間が耐えられない。がんばって聴いてみるけど、辛い。何かしていないと時間を無駄にしている感じがして焦ってしまう。音楽は何かをするときのBGMに成り下がってしまい、音楽を聴くことをメインに据えるのは難しくなった。いくら無駄な時間も大切だと言っても、世間の煽りもあってそうそう無駄に過ごせない。

結局のところ、余裕がないんだな。無駄を許せないというのは。

12月27日 マイブーム

 近頃、「にっき飴」をよく舐めている。おいしい。出会いは職場で休憩のときに貰ったことから。最初は"にっき"ってなんだろ?と。シナモンみたいで好き。京都お土産・八つ橋でも同じが味がしてたなって思ったら、あれも"にっき"だそうだ。

 

12月26日 音楽のこと。愛聴盤とは。

最近手に入れたシューベルト即興曲のCDをよく聴いた日だった。気になって何回も再生した。
愛聴盤とはこういう風にできていくのだろうか。CDをたくさん買ってしまうのは、これだ!と思う1枚を探すための投資だと言う人がいた。1枚買っただけで、人生を通して聴ける愛聴盤に出会う人もいる。何百、何千枚と買ってもどうにもしっくりくる出会いがない人もいる。まあ運だ。無理して作るものでも、作れるものでもないし。