日々の雑感

人生の途中経過を記録していきます

ラジカセの音が好みである。

  自室で聴くちゃんとしたオーディオセットの音より、食卓で聴く20年は使っているとおぼしきラジカセで聴くカセットテープやラジオの音のほうが好みである。その事実をどうとらえるか。自分の価値判断の基準が明確だと思うのか、総額20万円かけたオーディオセットは何なのかと嘆くのか、あるいはかけたお金はこのことに気づくために必要なプロセスのひとつだったと考えるのか。いろいろな見方が考えられる。こうなってしまってはポジティブな方向に考えたほうが楽だし後悔もない。

  どうしてこうなのかいろいろと原因を探る向きもあるかもしれない。でも、そういうことをしてみてもラジカセの音のほうが好みであるという事実は変わらない。オーディオセットからラジカセの音がすることもないだろう。別物なんだから。

  とはいっても屈辱的ではある。あのお金は一体と思うのは自然だと思う。損だとは思わないが、ラジカセの音で十分だっと思うと愕然とする。あのお金がなければ気づけなかったことでもあるが。もし、オーディオセットを揃えないでずっとラジカセで音楽を聴いていたならば、いつまでも憧れのオーディオセットはさぞ良い音がするんだろうな、お金があればなあと思いながら日々を送り続けていたことだろう。それはそれで満足できない日々だと想像できる。

  どっちでもよかったと思う。