将来の不可避だと思われる貧困生活に向けての準備として、生活を愉しむ技術の習得と愉しむのに必要となる材料を集める日々である。生活を愉しむ技術を備えておくことは、無駄な出費をしないために有効だと考える。
そうして準備しているわけだが、愉しむ技術が臨界点を越えたのか、その対象に飽きがきてしまっているようなのだ。もっとゆっくり進めてもよかったのかもしれない。新しい刺激に飢えるようになってきてしまった。
つまり何とのことかというと音楽なのだが、長く聴き続けられるように音源を選別し、聴く視点を散らして新しさを失なわないように努めていたのが限界を迎えたようなのだ。
もともと動機が不純だし、目的に合うように考えすぎていたところも否定できない。これでは音楽に対する冒涜である。このまま露頭に迷ってしまうのか。愉しみの意味でも経済的な意味でも。
少くとも、現在は貧困状態にはないんだから、準備などと息まいていないで、もっと広く好きなことをしていればいいのではないか。要はにっちもさっちも行かなくなったときに愉しむ技術云々が生きればいいことなんだから。