日常の雑感

見なれた日常にある"何か"を見つけて記録していきます

スピッツ『ハチミツ』は今でも鮮烈

スピッツの『ハチミツ』を聴いている。もう25年も前のアルバムなんだ。

最近、急に「人は17歳の頃に聴いていた音楽を一生聴き続ける」という言葉を意識し出して、その前後、中学生から高校生くらいの時期に聴いていたアルバムを聴き返すことが多くなっている。

素晴らしい音楽たちだ。

別に意識してもしなくても、一生聴き続けるかどうかはコントロールできない。けれども、確かにあの頃の音楽は、僕の中で燦然と輝き続けていて、25歳くらいのときに聴いたときも、30歳を超えてから聴いたときも同じ輝きを保っている。一生聴き続ける可能性は高そうである。

90年代中頃の音楽がバブル状態であったと云われる時期ものが、際だって優れていたわけではないと思う。きっと今の音楽も素晴しいのだろうと思う。現在、17歳の時期はとうに過ぎてしまって30代になっている。その間にも音楽を聴き続け、最早、プレーンな状態ではなくなっている。音楽については、語ることを憚れるほどの語彙しか持たないが、それでも、いくらかの音楽経験の蓄積があった。仮に、プレーンな状態が続いているのなら、いつの時代でも音楽を鮮烈な刺激を持って受け入れることができるだろう。蓄積はときに邪魔をしてくる。音楽を作る人は忘れっぽさが肝心と聞いたことがあるが、聴くだけの人も忘れっぽいほうがよいのではないだろうか。

しかしながら、蓄積は避けられなかった。17歳の頃の燦然とした輝きに憧れて、次から次へとお金を注ぎ、またあの感覚を味わうために新しい音楽を探し続けるのか。あるいは、諦めて歩みを止め、17歳の頃の音楽を聴き続けるのか。後者のほうが経済的であるし、確実である。経済とかの話はナンセンスなのだが、経済力に物を言わせて青春を取り戻す作業も愚かしい。そうしても青春は取り戻せない。あの頃はあの頃として、輝かしかった、人によってはどん底とも思える時期を過ごした17歳の頃を、そういうこともあったなと思い返すきっかけとして音楽を聴くのである。

その論理でいくと、人生の節目節目で聴いていた音楽、どこかへ行ったときの車の中で流れていた音楽というのが考えられる。一般に青春といわれる、17歳くらいの思い出とともに再生される音楽が心地よくて聴き続けるといったことだ。でも、たまに聴いて思い出に浸るくらいで十分な場合も多々あって、一生聴き続けたいとなると、ハードルが上がってくる。だって、日光にドライブしたときの音楽を聴くと、あのとき流れていたなと思うけど、一生の伴侶になるような衝撃的な思い出でもない。心の支えなようなものにもならない。

結局、17歳の頃云々は経験則で、いろいろこね繰り回しても、わからない。皆が思っている、経験する、"当たり前"のできごとを言語化したことに意味があるのだ。