日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

一般的とか権威

いつも「一般的」と呼ばれることや「権威」と戦っている僕だ。

一般的とは、文字通り、一般の人はどう考えるのか大衆の意見である。かといって、自分も大衆のひとりなのだ。しかし、全ての面において大衆に属するわけではない。自分の意見や価値観を明確に持っている面もある。たぶん多くの人がそうだと思う。

しかし、それが強いと社会との軋轢に悩むことになる。こと、自分の意見が独特で先鋭的であったりして、一般的な意見とは少し離れていると感じる場合は、ストレスを産む。相違の程度より強く一般的な意見を意識するようになる。ポジティブな人は自分のスタンスをより明確にして自信をつけるのだろう。ネガティブな人は自分の意見を抑えて一般的な意見に迎合しようとする。僕はネガティブ寄りで、そこまで自分のスタンスに自信を持てない。日夜ストレスと戦っている。

「権威」も厄介だ。権威は一般的と違いある程度目に見える。権威は、その分野の支配的な見解だ。権威がアレはダメだと言えば、僕を含めその分野に知識や知見の蓄積が少ない者にとっては、権威の見解は絶対的な力を持ち得る。

僕は、権威に影響されて、新しいものに出会う機会を失ったり、柔軟に考えられず行動を誤ったりしたことがある。権威は新しいものに対して否定的である。そして基準となる物の見方をきちんと守ってくるので、柔軟性に欠ける。だから権威に対抗しようと企てる者は、権威の見解を徹底的に分析して粗や欠点を見つけ、自分の新しい見方についても、論理を明確にしなければならない。しかし、通常、正攻法で正面から向かって行っても潰されてしまう。そこで、大衆を味方につけてしまえばいいのだ。一般に受け入れられてしまえば、権威は求心力を失ない弱まっていく。

権威の見解から自由で柔軟な発想を持った、一般の人の先鋒に憧れる。権威や権威に反抗する者でもなく、トレンドを作るであろう一般の人。現代ではインフルエンサーと呼ばれるカテゴリの人々に当たるのだろうか。たぶんそういった人々は、一般的な意見からも自由なのだろう。自分の核があるというか。ブレない核を持った人に僕もなりたい。

まあ、インフルエンサーもやがて権威になってしまいかねない危うさを持っている思うが。それじゃあアーリーアダプタのほうがいいな。

と書いてきたわけだが、そのきっかけは音楽とかオーディオの世界だった。新しい音楽が産まれたのを聞いても、旧来の権威に押されて、それが流行っても認められない精神。ちょっといい音を思って買ったオーディオについても同様。そんな精神への反省です。