2002年くらいから2010年くらいまで、当時ライブドアが運営していたネットラジオサービス「ねとらじ」をよく聴いていた。最後の頃は、番組数、リスナー数ともに減ってしまって過疎化してしまって、連られて僕も離れていったのだった。
当時を思い返すと、晩年は、サービスが終わるか、放送者がみんな辞めてしまったら、自分は何を楽しみにしていこうかとばかり考えていた。心の支えがなくなるようで、不安だった。
結局、そのあとは、幸いニコニコ生放送に移行して楽しみを移すことができた。しかし、ニコ生も暗雲立ちこめて久しい。まだ楽しい番組はあるのだが、次の住処を探しはじめないといけないと思っている。
そんななか、ふと気づいたことがあった。今までは完全にコンテンツの受け手だった。放送したり配信する側に回ったことは皆無に等しい。コンテンツの受け手として楽しみを享受し続けるのであれば、ねとらじやニコ生に感じた喪失の不安は一生消えることはない。
そうであれば、何らかの形で何かを作る側に回ると不安は払拭できるように思う。