日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

肯定的でありたい

以前は、自分の周りで起こるあらゆることに肯定的な見方ができていた。最近は、というか仕事をするようになってから、頭から否定的に見てしまうことが増えてしまった。職場にはいろんな人がいて、どうしても自分の価値観からするとおかしいな、という行動や考え方をしている人が出てきてしまう。そういう人たちに対して、僕は口に出しはしないが、学歴がとか、生い立ちがどうとか、性別がとか、外観からその人たちの性格の原因を推測して決めるようになってしまった。

自分の変化に驚愕である。これが社会に揉まれるということなのだろうか。あるいは、もともと自分の本質は、そういった外観だけで人を評価する人間だったのか。一般に、経歴を含めた外観で人を評価するのはよくないこととされている。幼い頃から人は見た目で判断しちゃダメだよと親にもよく言われていた。でも、いつまでも純粋な心を持っていることは難しい。純粋でいたいけど、人の醜い部分に触れることを繰り返ししていると、染まってしまう。

でも、変わることを恐れてはいけない。恐れることは変わることだ。以前と変わってしまったのなら、変わるべくして変わったんだろう。本当にあるべき姿に変遷しただけだ。けれど、変わっていっても全てが変わるわけではないだろう。別人にはなれない。変わらなかった部分が自分の核で、誰がどうやっても変えられない部分だ。恐れによって自分が自分を変えてしまうことはあるかもだが。

ということで、僕は自分の卑しくなってしまった部分さえも肯定的に見るに至ったので、この記事を書いてよかった。