日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

音楽とバイタリティー

新しい音楽に出会うバイタリティを失いつつある。田舎に引き下がって、リアル店舗のCDショップから足が遠のいた。ネットでもCDは買えるし、サブスクを使えば手軽に新しい音楽に出会えるのに、億劫になっている。

昔から聴いている音楽を聴くだけで満足である。新しい音楽は聴かなくてもいい。でも、バイタリティは失いたくない。20代の頃は目に付いたもの、いいと聞いたものは手当たり次第に聴いていった。それであれもすごいこれもすごいと刺激的な日々だった。その頃とちがって、未知の世界に何も知らないまま飛び込むほどの体力はなくなったのは事実だ。30代以降は、それまでの蓄積を基にして新しいものに対応していくようにシフトチェンジすると、すんなりと知らない世界に入れそうだ。あのギタリストは誰の影響下にありそうだ、ルーツを辿ろうとか、あの名盤は音楽の歴史上どんな立ち位置にいるのかと考えながら探索する方向のような。たぶんこれは、仕事や遊びとを問わず普遍的であると思う。

GLAY 『Soul Love』の想い出

GLAYの『Soul Love』が流れている。中学生の頃、この曲が流行ったときに僕は友達に、「PV(今はMVというらしい)で楽しそうに歌っているから好き」と語った。なんとも…。今思い出すと頭を枕に叩きつけたくなる。僕は曲を聴いたのかと。GLAYは映像を作るグループではない。バンドで音楽を演る人達だ。

最近もこの曲についての逸話を作ってしまった。学生時代が終って大人になっても、度々この曲を機会があった。この曲のイメージについて「黄緑色」を連想させると思っていた。理由は、曲を聴いたイメージ。それに影響したのはジャケットに黄緑色が使われていたような気がしたこと。でも、しっかり調べてみたら、黄緑色のジャケットは、同時発売の『誘惑』のほうだった。何だったのか、黄緑色とは。思い出してみると、最初の話に戻って、PVのGLAYのメンバーが歌っている背景が黄緑色だった。

しばらくの間、GLAYの『Soul Love』といえば、楽しそうに歌っている、黄緑色のイメージな曲だった。

曲名が覚えられぬ

音楽を聴くようになって20年くらいになる。その間、僕は、アルバムの名前までは認識できるが、曲名を覚えられないことがわかってきた。アーティストやアルバムの名前は、CDを棚から取り出すときにそれがわからないと目当ての音楽が聴けないから必要になる。曲名はさして…。アルバムを最初から流れに任せて聴く場合は覚える必要性を感じない。シングルの曲名は覚えるけど、アルバムの曲の曲名までは…。

そう、アルバムを1曲目から流れに任せて聴くスタイルなのだ。流れの中で、この感じの曲の次はあの感じの曲が来ると認識する。昔のアルバムなんかをCDで聴くと、ここでひとつの区切りがあるんだな、たぶんA面が終わるんだなとわかると、しっかり聴けていると嬉しくなる。ネットなどで調べて裏が取れると尚更。

アルバムを聴くときは流れを大事にしている。というより、流れは必然的に形成される。たとえ突飛な曲があっても、何回も繰り返し聴いているうちに流れの中で角が取れて、違和感のないピースのひとつになってくる。最終的に心地良いでもスッキリできないでもいいので、アルバムのイメージを浮べることができれば、そのアルバムは"聴いた"と呼べる状態になる。

気になるケンプ

夕方。ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集(モノラル盤)からいくつか掻い摘んで聴いていた。この全集は、学生時分、中古CD屋に入り浸っていた頃に手に入れた盤だ。あの頃は、少いお金で往年の名盤を手に入れることに奔走していた。このほかにも、バックハウスベートーヴェンピアノソナタ全集(モノラル)やカール・リヒターマタイ受難曲なんかもこの頃だった。

 

そう、ケンプのベートーヴェンの話だった。ケンプのは、何となく聴いてしまう盤だ。僕は、バックハウスのほうが質実剛健ベートーヴェンらしい思っているのだが、何回も繰り返して聴いているわけではない。ベートーヴェンといって、手が伸びてしまのは、ケンプのほうなのだ。

ケンプの演奏は、よくわからない。柔かな印象を受けるがそれだけでは収まらない。問題作である。繰り返し聴いて、何者が突き止めたい想いに駆られる。

ケンプは気になって、ヴァイオリンソナタも手に入れた。シュナイダーハンと組んだものだ。こちらも鋭意聴き込み中である。

答は言葉にできなくてもいいから、何となくこんな感じとわかればいいと思っている。音楽の専門家ではないから語彙もないし。

どうぶつの森日記

『あつまれ!どうぶつの森』を久し振りにプレイしたら、島の住民に「2週間もどこへ行ってたの?」と言われた。キツいなあ。気にしなければいいのだけど、堪えるなあ。そんなに日を置かずに頻繁にプレイしないとなのか。

暇なときに虫を採ったり魚を釣ったりするのは楽しい。化石を掘ったり、DIYもしかり。でも、住民のその一言に興醒め。いつも遊び終わってセーブするときに、「いつでもまた来てくださいね」と言ってくれるのに、ちょくちょく顔を出さないといけないなんて。

まあ、ちょっと住民の言葉にこだわり過ぎた。そんなにこだわっても仕方がない。また好きなときに島に行きたいと思う。

音楽系雑記

グレン・グールドの演奏するバッハ『ゴールドベルク変奏曲』を聴いている。1955年録音のものだ。

この曲を知ったのは、嶽本野ばらの短編小説『コルセット』の作中に登場したからだ。僕は、こういう風に小説に登場した曲を自分でも聴いてみることをよくやっている。『マタイ受難曲』やサイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』もそんな出会いだったと思う。

準備

来たるべき経済的に苦しい状況に向けて、準備している。お金を貯めたり投資で運用するようなことではなく、生活を楽しむ術を身につけるようにしている。もしお金がなくなっても、楽しむ術をたくさん知っていれば、いくらか苦しくない。