日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

ラジオで音楽を聴く

毎日、朝だけCDプレーヤーの調子が悪い。しかたないので、ラジオをかける。ニュース番組を聴くこともあるが、今日はNHKFMのクラシックの番組にした。

ベートーベンの「ロマンス」や「クロイツェル・ソナタ」がかかった。知らない曲がかかると、こういう曲もあるのかと新鮮な気持ちになり、よく聴いて知っている曲がかかると、ワクワクする。「ロマンス」は聴いたことがなかった。「クロイツェル・ソナタ」は好きでCDでもよく聴いている。自分で選んだものではない音楽が流れるラジオの形で聴くと、CDで聴くのとはまた違った感じを受ける。

お題「ちょっとした贅沢」

お題「ちょっとした贅沢」

 

お題スロットから。ちょっとした贅沢、偶にしてる。偶にじゃないといけないと思うから、特別感を出したいときだけだ。

最近のちょっとした贅沢は…してないのかな?すぐには思いつかない。

…半年に1回、美容室御用達のシャンプーを買うのが贅沢かな。スカルプ的な、いい匂いがするシャンプー。美容室で、髪の毛が細くなってきた感じがすると相談したらお薦めされてから使っている。商売のカモにされるかもと思ったけど、生活の中でひとつくらいいかなと思って始めてみた。髪に腰が戻ってきたし、何より、職場の人など周りからいい匂いがするねと言わる。匂いのせいとは言いすぎかもしれないが、周りの人に良く思われているような気がする。気がするだけでも、変な疑心暗鬼に駆られることが少なくなるので、精神的に楽だ。人間って結構匂いに影響されているものだと実感する。予想外の効果だ。価格は当然ドラックストアで売られているものよりするが、大体の使用できる期間の日割で計算してみると、まあ払えるかなってレベルだから、続けている。

マウント取りになりがち

職場とか…主に職場において、長年同じ処に通っていても、辞めていったり入ってきたり、人の出入りがある。そんな中で、自分の常識では考えられないような発言をしたり行動をとったりする人に出会すことがある。学生時代とは違い、いろいろなバックグラウンドを持つ人々が集まるとままよくあることだ。

何年か前までは、そういう人に出会っても、「自分の常識は他人の非常識」と思って、他の人から見れば僕にも常識外れと思われていることがあるだろう、お互いさまだと認識していた。

しかし、最近は、かなりパワーのある、自分の知らない世界を見せてくれる、僕の常識では理解に苦しむ人々と触れ合う機会が増えた。具体的なエピソードは差し控えるが、自分の常識は他人の云々では収まりきれないのではないかと思うようになってきた。

僕はそういう人が理解できずに戸惑ってしまった。理解しようと、会話の節々からヒントを探っていった。離婚歴があると出自が複雑だとか、パチンコをするとか借金があるようだとか、僕の常識では考えられないような経歴は、僕の常識では考えられないような彼等の言動行動とリンクさせやすかった。それは単なるマウントである。

そんなことを言ったら、彼等にとって理解できない僕の行動も、35歳で結婚歴が一度もないから理解できない行動をとるのだなどと、マウントをとられてしまっても文句が言えない。同じことだからだ。

こういうときは人のいいところを探すのだ、と、言われても僕は聖人君子にはなれない。でも、彼等にも感心させられることもある。理解不能な言動行動ばかりが印象に残りがちだが、確かに感心したこともあったのだ。感心したことを覚えておけば、理解に苦しんだときにマウント合戦が少し柔らぐのではないだろうか。

ブログ書く前にちょっとだけ

ブログに書いておこうと、はてなブログダッシュボードを開く。記事作成画面を選ぶ前に、ちょっとだけと、購読中ブログの更新状況をチェック。ああ、更新されているじゃないか、ちょっと見てくるか。見る。見終わる。さて、ブログ書くか。…何を書こうと思っていたか忘れている。よしんば思い出したとしても、もう熱が残ってなくて書く気が起こらない。

こうして素晴しいアイディアだと思っていた話の多くがボツになっていく。鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだと痛感する場面だ。冷めないうちに書くような仕組みが必要だ。あるいは、面白い話は枯渇しないと割り切って、冷めたものは捨てて次へ行くか。

ブログ閲覧愛好家として

いろんなブログを読んでいる。

ブログを読むには読むブログを探す必要がある。最近、よく云われることだけど、グーグルで検索しても、ノイズが多い。ノイズが多いけど、ノイズを回避しつつ検索で探している。

ノイズ回避のコツは、検索コマンドだ。検索ワードを入力する窓に、コマンドを少し付け加えるだけで大分マシな検索が可能だ。コマンドと言っても端末とかターミナルで(Windowsでは何と言うんだろう)入力するような難しいものではないで安心してほしい。ただ窓に検索ワードとともに付け加えるだけなのだ。

ノイズを回避するとどんな検索結果が得られるのか。例えば、はてなブログでもgooブログでも何でもいいのだが、特定のブログサービスを利用して作られているブログのみを検索結果に表示することが可能だ。でも、独自ドメインのものはヒットしないようである。hatenablog.comとかblog.goo.ne.jpみたいな末尾のURL(ドメイン名)のブログだけを検索できるのだ。こうすれば、ブログだけを検索できるので見つけやすい。

折角、おもしろそうなブログを見つけても、何年も更新されていない放置状態のものもよくある。昨日今日更新されたようなアクティブなものを読みたいときもある。そういうときも検索コマンドだ。検索ツールでも代替できる。グーグルの検索ワードを入力する窓の近くにある、ツールという項目を選んで期間指定すればいい。1週間以内とか、1年以内などと更新された時期で絞ることができる。

また、これはアクティブなブログを探すときだけに限らない、便利機能なのだ。どんなときに使うのか。例えば、ブログ文化が隆盛を極めたと云われる、2000年代中頃とかの時期を指定すれば、その時代の熱を感じることができるだろう。あまりそういう検索をしたことはないのだが、容易に考えつく利用例だ。

この他にも完全一致のコマンドもよく使う。グーグル検索で使える検索コマンドはいろいろある。それこそ"検索コマンド"と検索して使ってみると、まだグーグルも捨てたもんじゃないなと思える、かもしれない。

twitterで使える検索コマンドもあるから、よかったらこちらも探してみると面白いかも。

 

抽象的な考えごとに耽る楽しみ

少し括りが大きすぎるが、人生の中で楽しかったことがあっただろうか。と、考えてしまう。中二病的な問いだ。恥ずかしい。即答できる楽しかったこと、楽しかった時期はない。

そもそも"楽しい"とは何なのか。

よくわからないので、逆から考えてみる。僕は、つまらないと思うことがあまりない。"楽しい"の対極にあるのが、"つまらない"であるとするならば、つまらなくないことは、楽しい時になるだろう。積極的に楽しいと思わないというのが正しい。つまらないと思うことがないのは、安定的に楽しい時期が続いているということなのか。毎日が楽しすぎて、楽しい日々がデフォルトの状態が続いているので、"楽しい"ことにすら気づかない。なんと!幸せなことか!

では、何故つまらないと思うことがあまりないのか。いつも楽しくできているのか。仕事も遊びもつまらないと思わない。他人から見れば恐しくつまらなく見えるだろうと自覚がある。終日音楽やラジオを聴いたり、意味もなく車で走ったりするようなことをしている。しかし、僕にとっては苦にならず、時間をやりすごすのに何とも都合がいい。とくに余暇においては、つまらないと思う暇がない。いつも忙しくしている、ような気がする。つまらないと思う暇がない。仕事では言わずもがな。

結局、楽しいことがなかったのではなく、つまらないことがあまりないだけだったのだった。

コロコロ変わる考え

考えることが毎日変わる。めぐるましく変わる。180°変わってしまうこともしばしば。さすがに一日の内には変わらないけど、昨日言ったことと今日言うことは全然ちがう。

毎日これ以上ない、最高のアイディアを思いついたと思っている。それを周りにいる家族に話してしまう。家族は困惑していることだろう。アイディアを考えつくけど、考えることしかしていなくて、何一つ実行するものはない。得意満面で語る僕に何も言わないけれど、言動に振り回されて疲れてしまっていると思う。

ネットを彷徨っていると、昔のブログ文化では、僕のようなどうしようもない考えごとを誰も見ないようなネットの片隅のブログに書き記して発散することが行なわれていた話を見た。なるほど、そうすれば家族や周りの人を振り回さずに済む。僕も考えたモヤモヤを文字にして発散できるし、一石二鳥である。ウィンウィンだ。

情けないのは、いろいろ思いついて考えるのはいいのだけど、一晩寝て次の日にはきれいさっぱり忘れてしまって思い出せないことだ。行動に移しようがない。そうなるから記録しておくことは大切だな。