日常の凸凹ログ

見なれた日常から、なにか気づけたら

今日のクエスト(?)は終った。これから何しよう。

車のエンジンオイルの交換をしてきた。仕事で着る服も買ってきた。今日に達成すべき課題はすべて成し遂げられた。今、午後3時。これから寝るまでは自由に使える。

 

自由というのが僕にとっては厄介だ。何かしなくちゃといつも焦るが、何もしていない。何もしなくてもいいのだと気づいても、やっぱり何かしたい。何かというのが厄介だ。何でもいいというのが難しい。熱中している趣味がある人が羨しい。やることがあるのは羨しい。羨んでもそこには至れないので、何もしないことを選んだ。

 

いいじゃないか、達成すべき課題を成し遂げただけでも。今日という日には意味があった。自由な時間に何もしなくても意味は残っている。自由な時間に何かすれば意味が加えられただろうが、しなくても意味は減らない。

 

提案!やることがないのならば、やらなくてはならないことに時間をかけるようしたら?

食事もしなければならないし、お風呂にも入らなけばだし、歯を磨いたり諸々ある。その諸々に時間をかけて丁寧に手間をかけることを意識してみるのは?

仕事では時間が限られているから必要以上に手間はかけられないが、自由に時間を使えるときは、手間に拘れる。心にいつもと違う刺激を感じられるかもしれない。

 

すべて休日に意味を持たせる必要があるという前提の話だが。