日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

青春時代を彩った2つの文化、音楽とインターネット

大学生の頃、20代の頃をどうやって過ごしてきたのか。何をしてきたのか。

あの頃は、音楽とインターネットラジオとともにあった。それだけであった。全てはこの2つに集約される。

音楽は、60年代から70年代のロック、50年代のジャズ、40年代から70年代のクラシックであった。いずれのジャンルも黄金時代というか、絶頂期にあったと思う。あの時代のロックやジャズのことは知っている人も多いと思うが、クラシックの音源でも歴史的な名盤が多く録音されていた。

それらを存分に楽しんだ。今も変わらず楽しんでいる。

インターネットラジオは、プロのラジオDJやアナウンサーではなく、一般の人が自分の喋りをネットで配信しているものだった。「ねとらじ」というサービス名で誰でも配信できた。当時はけっこう流行っていて極めていて、よく聴いていた。でも、やがて熱は冷めて聴かなくなってしまった。どんな配信があったかは、今はもう忘れてしまった。ときどき、まだサービスは続いているのかなと配信サイトを訪れてみるけど、寂れてしまっている。過疎だ。一応サービスは続いているようだ。

記録されたものを楽んでいた音楽と、日々動きがあるものを楽しんだインターネットラジオ

記録されたものは永遠に変わらず裏切らないが、日々動いているもの、流れていくものは、形を変え、裏切っていくというような話を何かの本で読んだが、そのとおりだと思う。

インターネットのような流れていくものは、つまらなくなったらとっとと見切りをつけて次の棲み家を探したほうがいい。

歴史的な名盤の音楽を聴くことは、いつまでも続けられそう。

長いアルバム愛好家

こんにちわ。

今日は好きな音楽の話を書きます。

僕は長いアルバムが好きです。CDで2枚組以上とかの。

よく、ベストアルバムで2枚組はありますが、僕が好きなのはオリジナルアルバム、あるいはライブアルバムで長いもの。たとえば、クラッシュの「サンディニスタ!!」とかクイーンの「ライブ・アット・ウェンブリー86」など。

長いアルバムは、やっぱり長い。始めから終わりまで集中してきくのは難しいです。正直、ながら聴きです。ネットしながら、考えごとをしながら。それでも、最初から最後の曲までかけています。何回も何回もかけていればそのうち全容がつかめるのではというスタンスで聴いています。

長いアルバムは長くても聴けるようによく練られていると思います。さっき挙げた「サンディニスタ!!」は、ダブ処理が特徴的なアルバムといわれていますが、それもあって、曲数は多いのに雑多な曲の羅列にはなっていない聴きやすさがあります。たぶん、いろんなタイプの曲がぎゅうぎゅうに押し込まれただけだと、聴くのに疲れそう。そこは巧い。

また「サンディニスタ!」聴こうかな!

照明の色で気分転換

部屋の照明の蛍光灯を電球色にしました。

もう何度めかの電球色です。僕は、そのときのマイブームで照明の色を変えます。ここしばらくはクール色(昼光色)でしたけど、再び暖かい色でリラックスタイムを過ごしたいなと思い、体調が悪いのも相まっての変更です。

欲を言えば、バーや喫茶店みたいに白熱灯の間接照明をいくつか置くのに憧れているのですが、初期投資と白熱灯がエコじゃないことがネック。雰囲気だけでもということで白熱灯チックな電球色を。

変えて2日くらいですが、やはり照明の色は気分が変わりますね。緊張状態が和らいでリラックスできています。

音楽を聴くのを趣味としている。

ジャズを聴いて、一聴して「これはウィントン・ケリーのピアノだ」とか「ソニー・ロリンズのテナーの音だ」とわかるようになってきた。

うれしい。

ジャズでわかるようになってきたなと思ったら、クラシックやロックでも誰の演奏かわかるようになった。

僕は、楽器はできないので、本やサイトを読んで、その演奏の特徴が書いてあっても何のことなのか理解できない。好きなCDを聴いていたら何となくわかるようになった。

誰の演奏かわかるようになっても、語彙を持たないので言葉で説明はできないけど。

僕もちゃんと音楽を聴いていたんだな。その賜物だ。

何か目につくあのジャケット

CDをたくさん持っていると、棚にずらーっと裏ジャケが並ぶことになる。

僕は、聴くCDを選ぶとき、並んだ裏ジャケを見渡して、目についたものを聴くことがある。聴きたい気分じゃないけど、何故か目につくものがある。

こういうときは、CDを順不同に並べておくと、意外なものに巡り会えて楽しい。整理するのが面倒なのもあるが。

情報洪水にのまれた。

情報が多すぎて洪水になってる。ネットとリアルとを問わず雑多な情報が溢れていて、疲れる。

接することができる情報が多くて、自分に必要なものといらないものとに峻別するのに疲れるのだ。

最近は、疲れ果ててしまって、できるだけ言語化された情報は避けるようにしている。情報の多くは、言葉となって入ってくるから、その言葉そのものに身体が拒否反応を示すようになってしまったからだ。

入ってくるのを許している情報は、耳から入ってくる音の情報、音楽だけだ。

音楽だけの生活にしてから、疲れが取れはじめているように思う。少しこの生活で過ごして、今度は情報とうまく付き合っていけるようになりたい。

外食しない。

食べ物について。

食事は、自宅で摂ることがほとんどで、外食は付き合いくらいでしか行かない。

理由は、外食をしてまでも食べたいものがあまりないから。家のご飯、おいしい。

母親がマメなわけじゃないけど、祖母から受け継いだ味は守っている。

堅実なおいしいご飯だ。