日常の凸凹ログ

見なれた日常から、なにか気づけたら

ブログってそこまで怖くないのかも

書きたくないです書きたくないです。自分の思っていること、感じていることなんて書きたくない。なぜって、否定されると思うから。批判を受けると思うから。怖いじゃない?

 

そう思いながら、時たまブログを書いてみるときがある。するとたまにスターが付いたりすることがあった。はてなの匿名ダイアリーに書いたときは、1つブコメもついて「おもしろい増田だった」と言われた。

ビックリした。嬉しかった。ブロガーになれるかもと思っちゃった()

 

 

フラストレーションと背徳的な快感

フラストレーションの解消方法について僕は制限をつけすぎている。過食はよくない、買い物すると買い物依存になるからよくない、お酒も飲まないほうがいいとか。誰に言われたわけではないのに制限をかけすぎていて、フラストレーションは溜まる一方だ。

 

そういう変に真面目なところがよくない。いつか爆発して取り返しのつかないことになりかねない。その日に溜ったフラストレーションはその日のうちに何とかして、翌日、翌々日に持ち越さないようにしたい。

 

たくさん食べたり、無駄遣いしたり、自分では「よくない」と思うことのほうがきっと快感なんだろうな。糞がつくほど真面目だから、他人には普通に感じるような、ちょっとした背徳的なことも気持ちがいいんだろうな。

 

精神のバランスのほうが大切だもんな。

アンテナを張り巡らせることに否定的である。

僕は、アンテナが低い。情報に対する欲求が低い。当然、知らないことが多い。時事どころか自分の好きな趣味の部類の情報さえ、日々の新しい状況には疎い。

テレビは見ないし、ネットも少ししかしない。いつもの生活の情報源は、家族や会社の人との会話によるものだ。

会話のなかで「知らない」ことに恥かしさを感じることもあった。社会を生きる者としての常識がないんじゃないかと自分で思うこともある。でも、それは違う。

 

日々アップデートされる新しい情報を知っていたところで何の価値があるのだろう。コミュニケーションに役立つ?コミュニケーションとは、人の話しを聞いて、それに対する質問なり感想なりの反応を示せば成り立つわけで、話題を振ってくれる人がいるのならば、自ら話を振る必要はない。前提として、日々交わされる会話のポイントを覚えておかなければならない。そうしないと質問をしたり話を広げていくことができなくなる。

 

みんながみんなこういうスタンスをとってしまうとコミュニケーションは成立しないが、こういう人がいてもいいだろう。

今日のクエスト(?)は終った。これから何しよう。

車のエンジンオイルの交換をしてきた。仕事で着る服も買ってきた。今日に達成すべき課題はすべて成し遂げられた。今、午後3時。これから寝るまでは自由に使える。

 

自由というのが僕にとっては厄介だ。何かしなくちゃといつも焦るが、何もしていない。何もしなくてもいいのだと気づいても、やっぱり何かしたい。何かというのが厄介だ。何でもいいというのが難しい。熱中している趣味がある人が羨しい。やることがあるのは羨しい。羨んでもそこには至れないので、何もしないことを選んだ。

 

いいじゃないか、達成すべき課題を成し遂げただけでも。今日という日には意味があった。自由な時間に何もしなくても意味は残っている。自由な時間に何かすれば意味が加えられただろうが、しなくても意味は減らない。

 

提案!やることがないのならば、やらなくてはならないことに時間をかけるようしたら?

食事もしなければならないし、お風呂にも入らなけばだし、歯を磨いたり諸々ある。その諸々に時間をかけて丁寧に手間をかけることを意識してみるのは?

仕事では時間が限られているから必要以上に手間はかけられないが、自由に時間を使えるときは、手間に拘れる。心にいつもと違う刺激を感じられるかもしれない。

 

すべて休日に意味を持たせる必要があるという前提の話だが。

周りの空気にすぐ影響される僕。

周りの空気にすぐ影響されてしまう。

たとえば仕事。所属部門でこなさなければならない仕事量に対して人数が足りているか過剰な場合、作業場の空気は緩い、弛緩しているので、まったくやる気が出ない。やらなきゃまずいという気にならない。逆に、今日は人が少ない、あるいは予定している仕事量がいつもより多いという時には、部門全体が緊張感つ包まれるので、やらなきゃまずい、やらねばという気にさせられる。しっかりと仕事量を作業にかかった時間で割るような生産性の計算をしたわけではないが、仕事をしている側の感覚では人が少ないときのほうが生産性が高い仕事をしているような気がする。

 

バリバリやる空気が流れていて気持ちは「やらなきゃ」という気になっても体がついていかない場合もある。

学生の時がそうだった。学生時代に所属していた集団は、勉強するぞ!勉強するぞ!という空気が強くて、自分も勉強に励んでいた。しかし、日に日に力が下っていった。昨日解けた問題が今日は解けない。同じ問題を解くのに1ヶ月前より時間がかかるようになってしまった。焦る。疲れた。やらねば。できない。

疲れしまったので、少し休んだ。それから勉強はあんまりしなくなった。集団とは距離を置くようになった。授業には出て、課外はあまり勉強しない。それでも単位は落すことはなかったのでいいやと思って、適度に学生を謳歌して卒業証書は貰った。

 

まとめると、気分は影響されるが体がついていかないこともある、ってところか。

伴侶REAL FORCE

REAL FORCEのキーボードが最高!打っていて気持ちがいい、ブログで書くことがなくても触っていたいインターフェイス。と思っていたけど。

 

最近、HHKBというキーボードがあることを知った。こちらもよさそう。というか、こっちのほうを評価している人も多い。いいなぁ。

でも、今のところ、僕はそのHHKBの打ち心地を知らない。ヨドバシとかに行って打って試すこともしないつもりだ。つまるところ、導入するつもりはない。

 

僕の知るなかでは、REAL FORCEは最高に楽しいキーボードだ。ほかは知らない。知らないから、ほかに浮気しない。知ってしまったら、欲しくなるかもしれない。今のREAL FORCEが路頭に迷う。REAL FORCEの人生は僕が全うさせるのだ。捨てない。売らない。

悠々と走る車を見てハッとした。

通勤やなんやらで毎日車に乗っているのだけど、最近は少し運転が雑になってきた。

 

前を行く車との車間がうまくつかめなくて、詰まりすぎてブレーキで調節したり、赤信号で止まるときも以前はもう少し静かに止まれたのにガクっと止まるようになってしまった。

 

こう思うようになったのは、今日出かけたとき悠々と走っている車を見てハッとしたから。その車と比べて自分の運転の落ち着きのなさといったら。

 

帰り道、悠々とを意識して走ってみた。運転するのって結構楽にできるんだな、今まで何を追立てられるように運転していたんだろう。