日常の雑感

人生の途中経過を記録していきます

ふと、ゲームしたくなるけど、続かない。

ゲームは自分には向かない。続けられないから。

でも、出かける予定のない休日のやることの候補に必ず入ってくる、ゲーム。候補に入るだけのことも多いが。

 

過去の名作といわれるゲームをいくつか用意して、みんながいいというのだから面白いんだろうと思ってプレイしてみても続けられない。RPGが多くて、続けてやれないで間が空いてしまうと何がなんだかわからなくなってしまうことが多い。

 

続けられないのは、 休日の過ごし方の選択肢をたくさん持っているから。その中で、日によっては音楽をひたすら聴き続けることもあるし、どこか遠出をすることもある。ひとつのことを一定期間、集中してすることができない。

そうか、サクっとやれて区切りがつくものがよかったのだろう。ゲームのジャンルを間違えた。アクションとかパズルとかのほうが楽しめそうだ。

非言語的なものに頼るコミュニケーション

ネットでの人との交流、抵抗がある。怖い。批判されるとか、心ないことを言われるとか。逆に共感してもらえたり励ましてもらることにもどう応えたらいいのかわからない。

 

人との交流は、リアルの世界でも課題ではあるが、ネットほどの抵抗はない。それは、よくいわれることだが、声の調子や表情など言語以外の多くの情報を利用できるので、少し不安要素がやわらぐからだ。

 

特に、自分は、言葉を上手く扱えていない自覚がある分、そこを補ったりちゃんと伝わっているか確認するために言葉以外の反応を見ることになるので、文字だけのネットの交流に抵抗がある。

うまく行間を読めればリアルの交流に少しは近づくのだろうか。

休日に思うことを一言。

「好き」ことは思いつかないので、休日は嫌いじゃないこと、苦にならないことを選んで過ごしている。ちょっと健康的だ。

 

「好き」と認識していなくても、他人から見たら、しどびーくんってあれが好きなんだよね!と言われることがあるかもしれない。苦にならないことをしているだけなのに。

でも、そういうスタンスでいいのだろう。無理に「好き」を作り出して生活していくのは、結局疲れるし、ストレスにもなりうる。好きなことをしてストレス発散して日々を充実させようという風潮に合わないが。

 

 最後に。苦にならないことをしていると書いたが、面倒くさいこと、お風呂に入るとかしっかりとした食事を摂るなどは、しなくてはならないと思うのでしている。不摂生はよくない。

パソコンのディスプレイをかつてのネットブック並の小ささにした。

パソコンのディスプレイを10インチのものに変えてみた。ちょっとしたサブディスプレイのような大きさだが、メイン用途にしている。

このくらいの大きさだと、視界のほとんどがディスプレイでウィンドウがたくさんということはなく、というができなく、小さな枠にウィンドウが一つで済む。小さいので、目の移動が少く疲れないように感じた。

解像度は、以前使っていたものよりも幾分下がるが、サイズが小さい分、凝縮された感じで文字が荒くて見づらいということはなかった。

そもそもなぜ小さなディスプレイを導入しようと思ったのか。机の上に場所がなかったのと、TSUTAYAレンタルビデオコーナーにあるような話題の映画を紹介してる小さな画面が気になっていたのだ。ちなみに購入したのもそういった業務用のものである。

僕が持っている第一次情報について

テレビCMでやっていた、アスリートが使っているというふれこみベッドマットレスを導入している。マニフレックスのことである。

 

今回は、マニフレックスについて一言だけ言いたい。

マニフレックスは、マットレスの上に直接寝転ばないと全然気持ちよくない。快適に眠ねれない。導入当初、マットレスの上にベッドマット兼用ボックスシーツを使っていたら、なんとも不快。眠って疲れをとるどころか、逆に疲れる。

と言いたかった。これは、取説をよく読むと、布団やベッドマットは敷かないでくださいと書いてあるので、僕がここで指摘してもしかたがなかったかもしれない。

伝えたいことが多いのだが、伝えないことも多い。

何かを伝えることは容易にはいかない。難しい。技術的に難しい。

 

うまく伝えられなくても、伝えたいことが毎日のように湧いてくる。それは感謝すべき特性を持ったためである。

 

ときに、ブログを途中まで書いて、納得がゆかなくてボツにしてしまう。その時の話題は、ブログの草稿とともにお蔵入りさせる。やはり、伝えたかったことは新鮮味を持って伝えてこそなので、溜めておいてあとで排出することはしないことにしている。

 

上記の理由で多くの話題を失った。

話題は毎日湧いてくるが、それに甘えないで、稚拙でも伝えたいことがあったならば文章にするなり、人に話すなりしておいたほうがよいと思うのだ。他人には月並みな話題かもしれないが、物事の新しい見方かもしれない。恥ずかしいけど、我慢してやろう。

いろいろな花が咲いているのに名前が全くわからない。

新緑の季節だ。

うちの庭にもたくさんの名前がわからない花が咲いている。

名前がわからないのは、僕がわからないだけあって、多くの花はポピュラーなものだ。

例えば、食卓の会話で「つつじの花が綺麗に咲いたね」とか花が咲いた話題はよく出るのだが、名前は聞いたことがあってもどの花のことかわからない。

四季ごとに庭でいろんな花が咲くと綺麗だなとか、ああこれはこの時期になるとよく咲いている花だなとは思うのだけれど。名前がね。

親世代やその上の世代は花のこともよく知っているのに、どういうわけか僕の世代は知らない。たぶん、うちの兄弟も知らないと思う。