自己顕示欲などないなんて嘘だった

見なれた日常から、なにか気づけたら

ゴールデンウィークだ。やることがない。

ゴールデンウィークだ。どこかへ出かけようとも、どこも混んでいそうで出る気にならない。ゲームもする気にならない。やることがない。

 

そういえば、中学生の頃も、休日はどこへも出かけず、かといってインドア趣味もしていなかった。記憶に残っているのは、今日のようによく晴れた日曜日の午後に窓を開けて、FMラジオを流しながら寝転んでいたこと。あれは最高だった。楽しかったかといえば、そうではないかもしれない。でも、自分の人生で思いついた最高の休日の過ごし方だったと思う。あんな過ごし方は歳をとってしまったいまではできない。

 

お金もなく、予定もなかったけど、時間だけば際限なくあった。時間が有限ではない感じさえしていた。時間を使うという考えはなかったが。

歳を取るにつれて時間はなくなっていった。時間を取ることが出きても、その時間に意味をつけなければならないと、ストレス解消法を試したり、気分転換だと出かけたりして使うようになった。つまらなかった。

 

最近、休日の過ごし方がわからなくなってしまうことが多い。すると、ときどき、中学生の頃の日曜の午後を思い出す。ああいった過ごし方をまたしてみようかな。

タバコ吸ったことない、パチスロ行ったことない。

人生30年、タバコは吸ったことがない、パチンコ・スロットに行ったことがない、競馬その他のギャンブルもしたことがない。

大人になるとできるようになる嗜みにほとんど手を出していない。お酒を飲むだけ。

 

ともすれば、何が楽しくて生きているんだという人もいるかもしれない。楽しくないかもしれない。楽しいとはどういうことなのか。

 

楽しいとはどういうことなのか、そういうことを考えているのが楽しい。タバコとかスロをやっている間がないほどに頭が忙しい。

余暇で疲れる。

余暇の刺激が強すぎて疲れる。

音楽、本、テレビのニュースが疲れる。テレビのスポーツ中継やネットの日々のつれづれを書いているブログを見るのは心が落ち着いていい。

 

刺激から逃げてしまってはいけないのだろうか。今は疲れたので逃げるが、いつまでも避けていてはダメなのか。

でも、疲れてしまう余暇の過ごし方はよくないような。

処方された薬をまじめに飲むことは大切だ

 近頃、やっと幻聴が聞こえなくなった。というか、幻聴が聞こえなくなって初めて今まで聞こえていたのが幻聴だったとわかった。幻聴の声が聞こえるのが日常的すぎて気づいていなかったし、健康な人も内なる声として聞こえるものだと思っていた。結局は幻聴とはそういうものなのだろう。聞こえているときは本当に聞こえていた。

 

 幻聴が聞こえなくなった要因は、やはり処方された薬をまじめに飲んでいたからだと思う。おかしなことを言うようだが、僕は、もうあまり病気がよくなることに興味がなかったし、副作用がでてもどうでもよかったから、処方された薬を飲むことに抵抗がなかった。よくなりたいと思わないから「もうよくならない、薬なんて飲んでも副作用ばかりだ、やめよう」とならなかった。薬を飲むのは、もう長いこと飲んでいるし習慣だからだ。貰っているのに飲まないのは気持ち悪い、それだけの理由で飲んでいた。

 ネットの書き込みをみていると、薬を用量より多めに飲んだり飲まずにため込んだりする人がいるらしい。睡眠導入剤ひとつとっても眠れないからとたくさん飲んだとかいう人やあの薬は副作用で太るから飲みたくないと言って飲まない人もいる。みんなやる気があるんだな、よくなりたいんだなと感心する。

 僕のよくなることに興味がないやる気のなさがいい結果となった。

延々と流している音楽

 音楽を延々とかけている。会社の人からおすすめされたアルバムだ。仕事への行き帰りの車の中でも、部屋にいるときも。かけはじめてまだ3日だが、まだまだ全体が把握できない。最近の音楽と違って、キャラクターが立っている曲がなく、淡々と52分の収録時間が過ぎていく。こういうアルバムは何回も繰り返し聴くように設計されているのだと思う。時間がかかる。効率性は皆無だ。僕は、テレビゲームには時間をかけたくないけど、音楽には時間をかけてみてもいいと考えている。

 

 この前は、iPodに音楽をたくさん入れてシャッフル再生して、偶然流れた曲にその曲の良さを再発見するのっていいなと思ったけど、ひとつのアルバムを執拗に聴き続けるのもそれはそれでいいなと思う。その時その時の気分で楽しみたい。ひとつの方法に固執することはないだろう。

 

 最後に、今、延々と流しているヘビーローテーションなアルバムは、ラルク・アン・シエルの「ティエラ」。20年以上前のアルバム。リアルタイムでは聴いていなかった後追いだ。

 

 

Tierra

Tierra

 

 

ゲームには不向きな僕。

 僕はテレビゲームを楽しむことに向かないようだ。ゲームをやろうと思ってハードはたくさん持っているし、ネットで調べて名作と云われるソフトも買ってプレイしてみた。でも、どうもしっくりくるものがない。楽しくない。

 

  ゲームが楽しくないのは、ゲームをすることに意味があるようになってきたからだ。僕は、余暇は無駄に過ごしたいんだ。一日中寝ているのは嫌だけど、無駄に過ごしたい。ゲームに意味があると言ったのは、タイムアタックややり込みの結果を発表することで他者とコミュニケーションが発生するきっかけになるから。ゲームは一人暗い部屋でシコシコやって悦に入っているのこそ美しい。共有というものから断絶した自分が楽しむ以外誰のためにもならない時間こそ最も無駄で最も尊ぶべき時間なのだ。

 

 僕は、無駄に過ごしているぜ。こうやってああでもないこうでもないと考えごとをしたり、車に乗ってあてもなくさ迷ったりね。特に気に入ってない音楽を延々とリピートして聴いたりすることも意味がわからないよね。別に好きでやっているわけじゃないと言ってしまえる。車は乗らないと調子が悪くなると聞いたから乗らなくちゃと思って、音楽のリピートは、会社の人がおすすめしてくれたアルバムでだから。今、ブログを書いているのは、リアルフォースのキーボードの打ち心地が好きで使いたかったから。

 

 この境地に達するまで紆余曲折はあった。余暇をうまく過ごせなくて、逆にストレスを溜めて仕事でもうまくいかなくなって八方塞がりになったりもした。人それぞれ余暇の過ごし方はあると思うから、お友達との会話のためにゲームをしたり、話題のスポットに出かけて写真をSNSに上げるのもいいけど。

坊主頭にしてみた。

 髪を切って短髪というか坊主頭にした。そしたら気持ちに余裕が出てきたように思う。以前は、買い物をするとき店員に「どうも、ありがとう」と言えなかった。車を運転していて右折のタイミングが全然計れなくて、対向車が完全にいなくなるまで曲がれなかった。最近は、店員の人に自然と言葉が出てくるし、右折もうまいタイミングで曲がれるようになった。

 

 坊主頭にして、街行く人が自分を見る目が変わったような気もする。いままでは、街行く人が怖くて、因縁をつけられたらどうしようとビクビクしていた。近頃、彼らはいちいち僕のほうを見てないと気づいた。坊主で威嚇しているわけじゃないし、イタい格好をしているわけじゃないから、多分自分の感じかたが変わったんだろう。仮に僕がイタくて見ないようにしているにしても、どっちにしろこっちを見ていないのは気が楽だ。

 

髪型を変えるだけでこんなに気分が変わるのか。この調子で精神的なストレスがどんどん解消されて、仕事もプライベートももっと元気に過ごせるようになるといいな。